またしても「人工地震説」なぜデマは"増殖"するか 全世界「選挙イヤー」に忍び寄る本質的な危険

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ここで少し立ち止まって考慮しなければならないのは、現代特有の情報環境によって見えづらくなっている私たち人間の古典的な嗜好である。

社会学者のジャン=ノエル・カプフェレは、「うわさは、われわれが心のどこかで考えていたこと、あるいは、あえて期待しようとはしていなかったことを、声高に口にし、正当化しているだけなのである。したがって、あらゆるメッセージの中でも、うわさだけが、変った特徴を持っている」と強調した(『うわさ もっとも古いメディア』古田幸男訳、法政大学出版局)。

「感情を解き放つ」、うわさの合理的な機能

カプフェレによれば、うわさは「大衆の深部の感情を正当化する」“事実”なのだ。それによって抑え込まれていた感情は自由に、開けっ広げになり、その話題について話をすることで気持ちを楽にすることができるとしている。

つまり、根も葉もないうわさが力を獲得するのは、その情報自体に感情を解き放つ一定の合理的な機能があるからなのだ。その場合、ちまたで交わされるコミュニケーションは、中身が嘘であったとしてもその実質は変わらない。それは人を愉快にし、攻撃性を肯定する。これが根底にあるといえる。

フェイクニュース対策では、ファクトチェックやメディアリテラシーばかりに目が向きがちだが、複数の信頼できる機関の検証を得ていない情報はうのみにしない、といった対処法ぐらいしかない。

出所が生成AIであったとしても、最終的にそれに食いついて世界中に拡散させるのは人間なのである。重要なのは、わたしたちがうわさを好むという性質が偽情報を有効な武器に仕立て上げている側面に敏感であろうとすることだろう。

加えて、キャンセルカルチャーが典型であるように、今、個人的な怒りは容易に社会的な義憤に転化しうる。経済的な格差や孤独・孤立、あるいは承認不足やアイデンティティーの危機といった数多の要因によって、私たちは被害者意識の塊になりやすく、かつその意識に導かれて「類は友を呼ぶ」状態になっている。もはや真実などどうでもよく、自分が敵だと思っている対象をひたすら貶める機会をうかがう者も少なくない。

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