
[著者プロフィル]佐藤卓己(さとう・たくみ)/上智大学文学部新聞学科教授。1960年生まれ。東京大学助手、同志社大学助教授、京都大学大学院教授などを経て現職。専攻はメディア文化学。『輿論と世論』『大衆宣伝の神話』『『キング』の時代』『テレビ的教養』『ファシスト的公共性』『池崎忠孝の明暗』など著書多数(撮影:梅谷秀司)
感情的で時々の空気に流されやすい「世論」と、時間をかけて公的に形成される「輿論(よろん)」──。著者はメディア史研究という立場から、「輿論の世論化」が進行する現代社会に警鐘を鳴らしてきた。
──「輿論の世論化」は今も加速しているのでしょうか。
加速していると思う。情報そのものの強度が高まったわけではないが、情報の伝達速度が上がったことは確かだ。その結果、即時報酬ばかりを求める「ためのない社会」が生まれている。
人々がますます考えずに情動的に判断するようになっていることは間違いない。
かつての輿論は、「財産と教養」を持つブルジョア階級が議論や文筆活動を通じて形成したものだった。それに対して、現在の社会では、熟慮する余裕のない人々が民意の形成に関わっている。
社会学者の佐藤俊樹氏は、その点に言及して、普通選挙以降、公的意見(=輿論)は存在せず、公的感情と大衆的意見(=世論)しか存在しないと鋭く指摘した。
私も現代社会で輿論が実際に機能しているとは思っていない。だが、理想としての輿論を捨ててしまえば、現状の世論を批判する足場が失われる。この考えは、良識的だが観念的だと批判されるかもしれない。しかし、観念的な理想というものは、社会にとってやはり必要なものだと思う。
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