「ある男の転落死」裏側に潜む"夫婦の秘密と嘘" 仏映画「落下の解剖学」で描かれる人間の複雑さ
本作の脚本は、トリエ監督の公私にわたるパートナーである監督・脚本家・俳優のアルチュール・アラリが、トリエ監督と共同で担当。
「ある夫婦の関係が崩壊していくさまを表現したいと思ったのがはじまり。夫婦の身体的、精神的転落を緻密に描くことによって、ふたりの愛の衰えが浮き彫りになっていくという発想から出発した」と企画のはじまりを明かしたトリエ監督は、前作『愛欲のセラピー』でタッグを組んだザンドラ・ヒュラーともう一度仕事をしたいという思いから、「本作の脚本はザンドラを念頭に書いた」と振り返る。
「主人公はリベラルな女性。そのセクシャリティやキャリア、母親としてのあり方ゆえに他人から白い目で見られている。わたしはザンドラなら単なるメッセージのレベルにとどまらず、この役柄に複雑さと深みをもたらしてくれると思っていた。だが撮影を開始してすぐに、ザンドラの信念と独創性に圧倒された」と全幅の信頼を寄せている。
そしてそのラブコールを受けたザンドラも「脚本を読んで本当に興奮したし、特にキャラクターが魅力的だった」と語っていた。
人間の複雑さを描いた裁判劇
何より本作で特筆されるのは、“言語”が重要な位置を占めているということ。本作は裁判劇となるが、事件の詳細を描き出すよりも、人間のエゴ、嫉妬、嘘、隠された思いなど、人間の複雑さを描き出すことにより重きが置かれている。
また、ドイツ人であるサンドラがフランス語、英語、ドイツ語と複数の言語を使いわけるが、それによって「サンドラのキャラクターに複雑性を加え、不透明感をかもし出しています。サンドラは外国人としてフランスで裁判にかけられ、夫と息子が話す言語も操らないといけない。それが観客とサンドラの中にある特定の距離感を作り出している」という。
本作は中盤から法廷劇へと形を変えていくが、そこでは「最初から回想シーンはつかわないと決めていた」と語るトリエ監督。言葉の応酬が飛び交う法廷だけに、観客は必然的に証言者たちの言葉にしっかりと耳を傾けることとなり、真実はいったいどこにあるのかと想像を張り巡らしながら映画を鑑賞することになる。「サンドラは無実なのか、それとも——」。
主人公のサンドラを演じたザンドラ・ヒュラーは、SAG−AFTRA(全米映画俳優組合)のイベントに出席した際に、トリエ監督のこだわり、そして彼女に対する全幅の信頼感についてこう語っていた。
「それはジュスティーヌ(・トリエ)の見事な演出だった。
彼女は何度も何度もスクリーンテストを行い、(観客を惑わすための)最適な表現方法を見つけようとしていた。彼女は本当にクレイジーですばらしい!」
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