「自然資本」への対応には日本の伝統文化が重要だ SDGsと「鎮守の森」やアニミズム文化をつなぐ
以上は「市場(私)」または「政府(公)」による対応ということになるが、これらに加えて、「コミュニティ」あるいは先ほど言及した「コミュニティ経済」という発想からの対応が考えられるのではないか。
それは“多少価格が高いとしても、国産材を使えばそれによって林業や関連事業に携わる従事者の収入や雇用増にもつながり、めぐりめぐって地域全体の賃金上昇や経済活性化につながる”という考え方である。
言い換えれば、「価格の高い国産材を買うこと」はさしあたってはマイナス(損)だが、域内の経済循環を通じて、最終的には当人にとってもプラスの恩恵が戻ってくるという発想である。
そのように考えられるか否かは、まさに上記の「めぐりめぐって……」という発想をもてるかどうかにかかっているだろう。「めぐりめぐって……」という日本語は、すなわち「循環」ということであり、「コミュニティ」とも重なる。つまり相互扶助あるいは“ペイ・フォワード”の循環であり、いわゆる「情けは人のためならず」の発想でもある。対照的に、「市場経済」の本質は“無限に開かれた空間”ということであり、そこでは「循環」は本来的な意味をもたない。
循環の思想が失われている
議論を飛躍させるようだが、日本経済が低迷していることの根本的な背景として、この「めぐりめぐって……」という、循環の思想が失われていることがあるのではないか。そこでは全てが短期的な視点で把握されて“コスト・カット”が進み、結果として負のスパイラルが生じている。
「循環経済(サーキュラーエコノミー)」ということがしばしば語られるが、本来それは単にリサイクルとか資源循環を意味するのではない。そこにはここで述べているような「コミュニティ」の思想が含まれているのであり、プラスの経済循環をつくり出していくという、ポジティブな方向性が含意されているのだ。
このように考えていくと、先ほど見たように現在の日本において「自然資本」のアンダーユース(資源の未利用ないし過小利用)が生じ、それが国内そして海外の生態系の劣化をもたらしているという点は、実は大きな“チャンス”ととらえられるのではないか。
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