「経済成長か貧しい暮らしか」という二項対立の罠 日本が「脱成長」のロールモデルになれる理由

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人々の生活や幸福にとって役に立つものだからこそ、人間は、便利なものを作ろうとし、技術を発展させてきました。

技術は、本来の「使用価値」を持っているのです。これを使えば遠くの人とコミュニケーションができる、これを使えば洋服がもっと綺麗になるなど、使用価値が人々を幸せにし、そこに経済活動が生まれるから、GDPも増えていく。

しかし、いつからか、価値が増えてお金も増えていくのに、必ずしもその使用価値が増えないものが、たくさん出てきました。

無駄な再開発もそうですし、最近ではiPhoneも、12になろうが13になろうが、新しい機能はあるものの、iPhoneの持つ使用価値そのものは大して変わっていない。つまり、私たちは新しいiPhoneを買っても、GDPを増やすことはできても、幸せにならないのです。

にもかかわらず、お金持ちがお金をたくさん持っているという理由で、それによって幸福になれるわけでもないのに、無駄な大量消費をして、環境を破壊している。前回見た、外部化のせいで、そのツケは貧しい人が払うことになります。

もっと平等な社会にしていくことが環境にとってもいいですし、そのほうが人々の幸福度も全体的には高くなる。ところが、資本主義は成長を追い求め続け、格差を拡大し、環境を破壊する。だから、ヒッケル氏はそのような成長主義から脱却すべきだと言うのです。

エッセンシャル分野への再分配

今の社会で高級取りと言えば、広告、マーケティング、コンサルタントなどです。そこに使用価値はなく、いかにコストカットをするか、いかに余計なもの買わせるかというものが社会で力を持つ、その象徴と言えるでしょう。

一方で誰もが必要とするエッセンシャルワークは待遇が低い。もっと、教育、医療、介護などエッセンシャルな分野に再分配していくべきです。

ところが、「再分配」という問題は隠蔽されてきました。成長すればいいという中では、パイが大きくなり続ければ、再分配しなくてもみなが豊かになっていくという夢を与えてきた。いわゆる、トリクルダウンですね。「成長すればみんな豊かになりますよ」というナラティブは、再分配したくない側にとって、非常に都合がいいわけです。

地球の限界を前に気がつくべきなのは、多くの人の生活が苦しいのは、社会が十分に成長していないからではなく、その果実を一部の人があまりにも独占しているからだということです。この事実に気がつくことが難しい理由には、成長を止めると貧しくなって、ひどい生活になるという思い込みがあります。

GDPを増やし続けるのか、地球環境のために貧しい暮らしするのかという二項対立は常に煽られていますが、それがもたらしたものは、労働運動と、環境保全主義の間の深刻な分断です。

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