「経済成長か貧しい暮らしか」という二項対立の罠 日本が「脱成長」のロールモデルになれる理由

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労働運動と環境保全主義の分断は、資本主義にとっては都合がいい。どちらも資本主義のもとで苦しんでいるのに、その両者が分断されるのですから。

ヒッケル氏の脱成長論が重要なのは、この分断を乗り越えるビジョンを出しているからです。本当の幸福で豊かな生活は、必ずしも経済成長に依存しているわけではないということに、彼の本を読めば気がつくことができるでしょう。もっと平等で、健康で、持続可能な社会を作ることは、GDPの成長ばかりを追い求めなくとも可能なのです。

日本こそ脱成長のロールモデルになれる

少子高齢化によって経済成長が減速している日本は、脱成長への新しい社会のロールモデルになるチャンスと言えます。

『コモンの「自治」論』(集英社)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

日本の経済成長の減速には、イノベーションも停滞しているという問題もありますが、アメリカと比較すれば寿命は長く、治安もいい。義務教育のレベルも高い。自然環境も豊かで、食べ物も美味しく、温泉が湧き、都市部では公共交通機関もしっかり発達しています。

ジェンダー平等や脱炭素化など改善していくべき課題もありますが、GDPで計れない豊かさはある。今後急速に人口が減っていくなかで、これをどう継承・発展させながら、軟着陸させていくかです。日本がうまくいけば、今後少子高齢化が進んでいく先進国に対して、いちばん先行した脱成長のロールモデルになれる可能性があると考えています。

もちろん、そのためには、いろいろなイノベーションが必要です。けれども、イノベーションといっても、自動運転とか、AIだけがイノベーションでない。たとえば、ヒッケル氏は自転車だって、環境に優しい技術としてもっと再評価できると指摘しています。

ポイントは、社会的インフラの整備です。自動車中心の社会から、自転車や公共交通機関で生活できるコンパクトシティや交通網の整備が必要になる。これこそ、スマートシティよりも、必要なイノベーションではないでしょうか。

そうした改革を行っても、一気に市場のない世界になるわけではありません。けれども、資本主義の内部での改良から始めたとしても、脱炭素税の導入、累進課税の強化、広告削減などを積み重ねた先は、もはや資本主義とは呼べない社会に移行しているでしょう。私はこれを「ラディカルな改良主義」と呼んでいます。

私は、お金や資本、商品の論理によって囚われていない空間を「コモン」と呼んでいます。資本主義の論理から少し半身になって暮らし、考え、行動できるような「コモンの自治」の領域を、今の世界の自分たちの暮らしの中に取り戻していくことができれば、人々の発想や行動も変わっていくのではないかと期待しているのです。

(構成:泉美木蘭)

斎藤 幸平 東京大学大学院准教授

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さいとう・こうへい / Kohei Saito

1987年生まれ。専門は経済思想・社会思想。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。Karl Marx’s Ecosocialism: Capital, Nature, and the Unfinished Critique of Political Economy (邦訳『大洪水の前に』堀之内出版)によって、「ドイッチャー記念賞」を歴代最年少で受賞。50万部を超えるベストセラー『人新世の「資本論」』(集英社新書)は、「新書大賞2021」を受賞。「アジア・ブックアワード」で「イヤー・オブ・ザ・ブック」(一般書部門)に選ばれた。

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