はじめてのレギュラー仕事は嬉しかったが、それにしても「仕事が厳しい」のレベルをはるかに越えていた。
ただ『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』は毎週、ドラマを撮る回、クイズを撮る回、ゲームをする回など、さまざまな企画をやるので、総合的な力がついていくのもわかった。
「『笑ってはいけない』シリーズの時は、レギュラー番組を撮りながら、裏で特番も撮影するので結構厳しかったですね。
実際ミスも多くて……。スタジオで致命的なミスを2回犯したことがあるんですけど、それぞれ松本さんと浜田さんが助け舟を出してくれて事なきを得ました。ありがたかったです。
そんな厳しい現場でしたけど、打ち合わせは楽しかったです。ミーハーなので芸能人の話は単純に面白いですし、心霊の話とかも出るんですよ。
『どこそこの編集所に幽霊が出るらしいぞ』とか。そういう話聞くとワクワクしました。あと当時パソコン持ってなかったので、日テレのパソコンでオカルトなことを検索しまくっていました。後で無断使用がバレて使えなくなりましたけど。家に帰れない時も多く、そんな時は本を持ち込んで朝まで読んでましたね。夜な夜な、山口敏太郎先生の本を読んでた記憶があります」
ガキ使の先輩スタッフからは、
「3カ月でぶっ壊してやる!」
と宣言されていたが、なんとか3カ月は持ちこたえた。その時点でやっと、他のスタッフたちと連絡先を交換してもらえた。
目が覚めると東京駅に立っていた
「水曜日に収録があって、木曜日に回復、それでまた水曜日まで頑張る」というルーチンで毎日を過ごしていたが、ある木曜日、まったく回復していないのに気がついた。
「収録終わっても全然回復しないんですよ。メンタルがずっとキツイままなんです」
数日後、日テレで眠りにつき、目が覚めると東京駅に立っていた。はやせさんは岡山行きの切符を買おうとしていた。
「お金持ってないから、切符を買えてはおらずビービーと警告音が鳴っていました。その音を聞いてハッと正気に戻りました。携帯電話を見ると『お前どこ行ってんだ!!』と連絡がいっぱい来てました。無意識のうちに東京駅に来てるということで、さすがに『これはまずいかもしれない……』って思いました」
その時、たまたま知り合いから、ある雑誌の心霊特集の回を手伝ってくれないか?と頼まれた。
「単発の仕事なんですけど、『ヘッドハンティングされました』ってかっこつけて、下手なウソを言って、ガキ使の現場を離れました。結局1年ちょっとしかもたなかったですね。21~22歳の頃です」
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