はやせさんは、岡山県の津山市で生まれた。小学校は1学年が1クラス30人で、6年生まで同じ顔ぶれだった。
オカルトは、人と仲良くなるツールでもあった
「小学生の頃は体も小さいし、人と会話するのも苦手で、友達がなかなかできませんでした。唯一同級生と話せたのが、地元の山などの怪異についてだったんです」
津山市は「ごんご祭」というカッパのお祭りがあり、カッパに扮装して大きな通りでカッパの踊りを皆で踊る。はやせさんも小さい頃から参加していた。
その他にも、祈願したことが叶えられるかどうかを釜の鳴る音で占う神事「鳴釜神事」や、鬼神に扮して踊る「うらじゃ」など、の祭りもあった。津山から鳥取は近く、『ゲゲゲの鬼太郎』の水木しげるの出身地であり、その影響も強い。
はやせさんのお父さんも地元の怪異が好きで、はやせさんをドライブに連れて行っては
「あの山にはこんな謂れがあって……」
と妖怪譚、神話、都市伝説などを教えてくれた。
「ちなみに祖母は夏の暑い日に池の中で河童と遭遇したそうです。泳いでいたら足を引っ張られたと。潜って見たら小さかったので、腹パンして水から引き上げてボコボコにしたって言ってました。強い人だったんですよ(笑)。
そんなふうに怪異に恵まれている環境でしたね。父から聞いた話を同級生に話すと、聞いてくれるんですよ。その時だけは人気者になれました。だから僕にとってはオカルトは、人と仲良くなるツールでもありました」
中学は町の学校に通った。そこでもあまり友達は増えなかった。
「バラエティ番組を見たりラジオを聞いているうちに“放送作家”という職業があるのを知り、憧れました。もちろん『芸能人と会えるから』くらいのミーハーな気持ちでしたし、放送作家についてもよくわかってなかった。でも、中学生を卒業したら東京に出ようと決めました」
はやせさんは中学卒業と同時に、東京に出ようと思っていたが、母親に
「高校だけは卒業してくれ」
と懇願され、高校に進学した。
「いわゆるヤンキー高校でしたね。工業系の高校で女子はクラスに4~5人しかいませんでした。数少ない女子に話しかけると『お前何話しとんねん!』って、ヤンキーに怒られるんですよ。小中時代、そもそも女性と話してこなかったし、ますます女性が苦手になりました。高校を卒業した18歳の5月に上京することにしました」
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