「ガキ使」ADで挫折、人気オカルト作家の苦難の頃 先輩スタッフは「3カ月でぶっ壊してやる!」と宣言

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駅まで送ってもらうために母親の車に乗り込むと、父親がツカツカと歩いてきた。

「行くんかお前? わしゃ行けんかったのにな」

と言うと、はやせさんの鼻柱を拳で殴った。そして家の中に戻っていった。

「僕は長男なので跡をついでくれると思っていたのに、裏切られたというのももちろんあります。それに父も若い頃海外留学して絵を学びたいっていう夢があったのを諦めた経験があるので、田舎を捨てて東京に出ていく僕が羨ましかったというのもあったと思います。

父はずっと力仕事をしてた人なんで、殴られた鼻がいつまでも痛かったですね」

上京までを振り返るはやせさん(筆者撮影)

学生生活をはじめてまもなく「もう来なくていいよ」

東京に出てきたはやせさんは、プロダクション人力舎が開校しているスクールJCAに入学した。東京発のお笑い専門学校だ。

「お笑い芸人を目指している先輩がスクールJCAに入学したので、僕も追いかけて入りました。ただ、先輩は芸人志望だったんですけど、僕は作家を目指してました。学校には作家のコースはなかったので、仮にコンビを組まさせてもらって漫才やコント作る勉強をしたりしてました」

そんな学生生活をはじめてまもなく、講師の一人と言い合いになってしまった。

「たまたまライブの順位が良かった時があり、調子に乗ってました。先生に胸ぐらをつかまれて『お前声ちっちゃいぞ』って怒られたんですけど、カチンと来て『いや、でもおもろいもん作って順位良かったんやから、別に声ちっちゃかったって良いやろ!!』って言い返してしまったんです。そしたら『お前もう来なくていいよ』って言われました」

そのやり取りの一部始終を見ていた放送作家がいた。吉本興業に出入りをしている人で、

「君、裏方になりたいの? だったら紹介してあげるよ」

と制作会社へ人材を派遣する会社を紹介してくれた。

「それでスクールJCAを辞めました。暑い季節だったのを覚えてますから、入学して3~4カ月で辞めてますね(笑)。

それで制作会社に入って、特番を任されました。グルメ番組やクイズ番組、ドライブ番組などを担当して、リサーチしたり資料を作ったりする日々でした」

ある日、社長に、

「レギュラー番組だけどやってみる? ただしすごくキツい現場だけど」

と言われた。それまでは特番しか受け持ったことがなく、初のレギュラー番組だった。

「その番組は『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』でした。大好きな番組だったんで、よろしくお願いします!と言いました。ただ現場は、想像以上に厳しかったです」

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