日本語わからない外国人「JAL機」で感じた恐怖 家族旅行で日本に訪れていた中、事故にあった
「だんだん息苦しくなってきて」とアントンは語る。「ひどい状況でした。何が起こるかわからなかった。誰かが非常口のドアを開けて、外に飛び出せることを祈るだけでした」。
数分後、非常口のドアが開かれた。
「人々は日本語で叫んでいました。私たちは皆、前かがみになりました。みんなはっていたと思います。そうすることになっていたと思います。みんな私の後ろにはいつくばっていました。目の前は何も見えませんでした。何もかもがあっという間でした。父は私の前にしゃがみこみました。私もそうしました。妹は私のすぐ後ろにいました」。母親も後ろに続いた。
非現実的で映画の中にいるようだった
緊急用スライドを使って飛行機から降りるのは、それなりの難関だった。
旅の前に手の手術を受け、右手にギプスをはめているアントンは、「長い落下だった」と語る。
地上に降り立った一家は、飛行機から全速力で駆け出し、背の高い草原にたどり着いた。
「私たちはただ走り続けました。エンジンがまだ動いていて、飛行機の周りに大きな炎を噴き上げているのが聞こえてきました。できるだけ遠くへ行きたかったんです」
アントンは着ていた服だけを持って逃げた。しかし家族は無事で、日本への旅を続けている。「ひどい経験でした。非現実的で、まるで映画の中にいるようでした」。
(執筆:Christina Anderson記者)
(C)2024 The New York Times
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