ただし、医療費全体が増えれば、保険料を引き上げなくとも、患者の自己負担は増える。これを「負担」と見なすかどうかは、重要な問題だ。
「国民負担率」という概念があるが、これは、税および社会保険料の国民所得に対する比率として定義されている。自己負担はここには含まれないので、それがいくら増えても、国民負担率は変わらない。だから、保険料率を引き上げない限りは、岸田首相がいうとおり、国民負担の増加なしに少子化対策を実現できることになる。
この説明は、形式的に言えば間違いではない。ただし、これが普通の人の感覚に合わないことも間違いない。
自己負担は国民負担でないのか?
自己「負担」の増加が国民「負担」の増加でないというのは、語義矛盾のような気がするし、何よりも、国民の一般的な感覚には合わないだろう。病院の窓口で支払う金額が増えるのに、「これは負担増ではありません」と言われて、納得する人はいないだろう。
しかし、これは難しい問題を含んでいる。例えば、公的年金の給付を削減したとしよう。そうなれば年金生活者の生活は苦しくなるから、負担は増加したといってもよいだろう。しかし、年金の給付額がいくら減ったところで、国民負担には影響がない。形式的に言えば、医療費自己負担の増加は、これと同じ問題だ。
つまり問題は、「国民負担」の定義が妥当かどうかということなのだ。現在の定義であれば、医療費自己負担がいくら増えても、国民負担が増えないと政府が言うのは当然だ。しかし、その定義が妥当なものかどうかが問われているのである。
この問題は、今後重要性を増す。実際、さまざまな施策の財源として医療保険や介護保険の自己負担率の引き上げが、すでに提起されている。
医療保険については、2割負担の拡大がすでに行われている(年収が200万円以上の後期高齢者の自己負担率は1割であったが、2022年10月から2割に引き上げられた)。さらに介護保険の自己負担を増加させることが提起された。これは実現しなかったのだが、実現すれば、上で述べた医療保険の場合と同じように、普通に考える意味での国民の負担は増加することになる。
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