スマホやタブレットの普及により世の中全体でキャッシュレス化が進み、そもそもそうした子どもたちの若い親世代が、カード決済やコード決済を駆使し、電子マネーを当たり前のように使用しているため、買い物でも、「『おつり』を数えて出す」という行為をわが子に見せる場面も少ないのでしょう。
大半の日本人が、ほぼ一人一台、スマホなどのデバイス機器を携えるようになっている現代日本。そうした背景が、「おつり」というごく近しい言葉を消滅危機に向かわせているのは大変興味深いことです。
と同時に、「おつり」のSOSにとどまらず、社会や家庭に本来あった豊かな直接コミュニケーションの機会を、恐ろしいほどのスピードで減少させている「スマホ社会」が日本語に与える影響は、これからもっともっと大きく深くなっていくのではないかという懸念を持たずにはいられません。
「知らないモノ」から言葉の連想は無理
ただですら活字離れが進んでいる若者たち。そのような彼らがSNSやLINEの画面に打つのは、たとえば「り(→了解の意)」「オワタ(→終わったの意)」「クサ(→笑いの意)」……などの極端に短い文字、あるいは記号や絵文字。
いったい、日本の素敵な言葉がどれだけ摘み取られてしまっていることか。
たとえば、たらいを知らない人、風呂敷で何かを包んだ経験のない人、下駄を履いたりしたことのない人……。
その他、「巾着(きんちゃく)」って何?「タガ」って何?「ちゃぶ台」とは?「うだつ」とは?
こんな疑問を持つ人は、そうした物がモトになってできている言葉を理解しようとするのは無理があります。
当然ながら、日常生活のなかで見たことも触ったこともないモノやコトが多いのは、若者の側が圧倒的。
その分だけ、知らない言葉に戸惑います。
ところが年配者は、若者側の事情を少しも忖度しません。
何よりも、自分が話している言葉が若者にまったく伝わっていないことに、年配者は気づいてもいないようです。
長い間ずっと通用してきた日本語が、まさか日本人に通じないなんて、そんなことあるわけないじゃないかともいうべき思い込み(あるいは傲慢さ)で、若者たちが知らないモノやコトを、当たり前のように言葉の中に登場させてきます。
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