歴史上の「絶世の美女」はどんな顔をしているのか 現代に残る絵巻物や浮世絵からわかること

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なお、小少将の子とされる右近太夫は、長宗我部元親の五男です。神社で働く宮守として働いていましたが、兄の盛親が元親の後を継いだ後、関ケ原の戦いでは西軍についたため、右近太夫も大坂の陣が始まると大坂城に入り、徳川と戦います。しかし、結局、豊臣方が敗れ、盛親は切腹。小少将が生んだ右近太夫も兄と一緒に腹を切らされたと言われています。

四国の権力者と次々に関係を持ち、そこに関連する相手はことごとく亡くなっていく。まさに、春秋時代の夏姫さながらだと言えるでしょう。

『男衾三郎絵詞』にみる、日本における美人の定義

美人の話をしたとき、多くの人が気になるのは「当時はどんな人が美人とされたのか」。当然現代とは感覚が違います。

しかし、当時の美人とされていた人が、現代人からみて不美人かというと、決してそういうわけでもありません。たとえば、浮世絵の美人画などを見ると、「この絵の通りの人がいたら美人とは言えないだろう」と思いがちですが、明治の頃に撮影された美人で誉れ高い芸者や遊女の写真を見ると、私たちの感覚から見てみても、確かに美人が多い。

現代に残る絵巻物や浮世絵は、あくまでデフォルメしたものに過ぎず、本当は現代にも通じる美人だったのではないか……とも思ってしまいます。
しかし、その一方で美人の定義として面白いのが鎌倉時代後期に成立した『男衾三郎絵詞』という史料です。この物語は、簡単に言えば継子いじめの物語です。

武蔵の有力武士、男衾三郎は、兄の忘れ形見である少女を養うことになりました。その少女が、なんと絶世の美少女。叔父に引き取られた彼女は、さまざまないじめに遭いますが、結局若い公達、すなわち王子様に見初められて幸せになるというお話です。なお、このような継子いじめの物語は、平安時代から存在するので、当時はそれだけ継子いじめは身近なものだったのかもしれません。

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