歴史上の「絶世の美女」はどんな顔をしているのか 現代に残る絵巻物や浮世絵からわかること
これは、とにかくものすごくモテる女性だったとしか考えられません。現代でいえば、七十代を超えてもおキレイな女優の吉永小百合さんのような方だったのでしょう。
究極の美魔女といえる夏姫ですが、かつて日本の戦国時代にも夏姫のような美魔女が存在しました。
彼女の名前は小少将(こしょうしょう)です。ちょっと変わった名前ですが、女性の名前としては歴史上よく使われる名前です。たとえば越前の国の戦国大名である朝倉義景の妻で斎藤兵部少輔の娘も、小少将という名前です。
ここで取り上げる小少将は、徳島県の有力武家で西条東城城主の岡本牧西の娘です。そして、この女性こそが、まさに戦国時代の「夏姫」ともいえる人物でした。
戦国時代の「夏姫」の人生
彼女は、最初、阿波の国の武家のトップで守護大名の地位にあった細川持隆の妻になりました。持隆との間に、真之という息子を産みます。このとき、おそらく彼女は十五歳前後。ところが、一五五三年に持隆が、阿波の実力者である三好実休に殺害され、未亡人になってしまいます。
その後、彼女はどうするかというと、持隆を殺害した本人である実休の妻になります。おそらくこの頃、彼女は三十歳くらいだったでしょう。
実休は、織田信長以前の京都の覇者として知られていた三好長慶の弟です。かつて三好義賢と呼ばれていたのですが、正しい歴史史料では本当に義賢と呼んでいたのかがわからなくなったため、法名として使っていた実休という名前が使われるようになりました。いわば、武田信玄の「信玄」と同じようなものです。
「法名があるということは、出家しているはず。お坊さんなのに、結婚していいのか?」と思われた方もいるかもしれませんが、当時の武将たちは、別に頭を丸めたからといって女性との関係を絶つわけではありませんでした。これは上皇が出家して法皇になったときと同じです。
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