そのうえ、富裕国では、18~24歳(人生でいちばん体力がある時期だ)の若者の大多数が高等教育(専門学校、大学、大学院など)を受けている。高等教育を受けている若者の割合は、一部の富裕国では90%にも達する(米国、韓国、フィンランドなど)。一方、貧しいおよそ40の国々ではその数字は10%にも満たない。
これはつまり、富裕国では、若者が成人してからもしばらくは働かず、その多くが経済的な生産性の向上に直接は役立たない勉強をしているということだ。ただし、これにはほかの面では、例えば、文学や、哲学や、人類学や、歴史などの面ではとても大きな意義があると、わたしは思っている。
貧しい国では、富裕国に比べ、定年の年齢(国によって違うが、60歳から67歳)まで生きられる人の割合は低い。しかし元気であれば、富裕国の人よりもはるかに高齢まで働き続けることが多い。退職できるだけの経済的な余裕がない人が多いからだ。かなりの割合の人が肉体的に働けなくなるまで、自営の農家や商店主として、あるいは無報酬の家事や介護の担い手として、働き続けている。
さらに、貧しい国では富裕国に比べ、労働時間もはるかに長い。カンボジア、バングラデシュ、南アフリカ、インドネシアといった貧しく、暑い国の人々の労働時間は、ドイツ人、デンマーク人、フランス人と比べて60~80%、米国人や日本人と比べても25~40%長い(かつては「働き蟻」といわれた日本人だが、最近は米国人より労働時間は短い)。
生産性の低さはどこから来るのか
貧しい国の人のほうが富裕国の人よりも実際にはよっぽど働き者であるのなら、その貧しさは勤勉かどうかの問題ではない。これは生産性の問題だ。貧しい国の人々は富裕国の人よりも、はるかに長い時間、人生のはるかに長い期間にわたって働いている。ところが生産性が低いせいで、生産しているものははるかに少ない。
といっても、この生産性の低さは、教育レベルや健康状態といった個々の労働者の質に主な原因があるわけでもない。一部の「ハイエンド」の仕事ではそういうことも関係するだろう。
しかしほとんどの仕事においては、貧しい国の労働者と富裕国の労働者のあいだに、個々の働き手としての生産性に差はない。そのことは、貧しい国の人が富裕国に移り住んで働き始めると、特に新しい技術を習得したわけでも、健康状態が劇的に改善したわけでもないのに、たちまちその生産性が大幅に高まるという事実にも示されている。
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