アラサーのための戦略的「人生相談」--自分を「客観視」するためのトレーニング法(その2)

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 ところが、人間は本能ではなく、理屈で行動するでしょ。「いいか悪いか」なんていう規範を持っている動物なんて人間だけですよ。ニーチェじゃないですが、本能は「善悪の彼岸」にある。「ちょっと昨日食いすぎたし、ガゼル君たちに悪いから今日は食うのをやめておこう」なんて思うライオンはいません(笑)。

人は何かを求めて行動する。「何が欲しいか」ということと、「何が不満か」ということは根源的には同じ問題です。「何が欲しいか」を10個書かせると、大体その人がどんな人かがわかります。

極言すれば、「その人とは、その人の行動のことであり、それを決定する欲望」とも言えます。下品な欲望を持っている人は、下品な人なんですよ。「行動は下品だけど、本当のところは下品じゃない」というようなことは、絶対にない。もっとも、「何が下品か」は別問題ですけどね。

「今欲しいものを制約なしで、上から順番に10個書いてください」と言うと、「100億円欲しい」と最初に書いてしまうような人は、2番から先を書くことに苦労するでしょうね。

車は100億円あったら買えますし、家だって100億円あったら買えますから。一番に金額を書いてしまう人というのは、今ふうに言えば、ちょっと「残念な人」ですね。「自分は何か」ということを考えたことのない人は、往々にしてそういう「残念な思考」に陥ってしまいます。

欠落感と達成感はウラハラ

「I want」のウォントっていうのは、名詞では「欠如」。つまり欲しいってことは、欠如の裏返しなんですね。欠落感のない人はwantがないので欲しいと思わない。

大学のAO入試の面接で、「君はいったい何がしたいんだ?」と聞くと、「入学したいんです」と言う子がいます。これも残念なケースです。

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