アラサーのための戦略的「人生相談」--自分を「客観視」するためのトレーニング法(その2)
また、「なかなか就職できないんです」という学生に、「何がしたいんだ?」と聞くと、「就職したいんです」と言うケースもあります。それは、「何がしたいんですか?」という問いに、「カネを儲けたい」と答えるのと一緒です。それは目的であるはずがないのに。
「ウォントが自分自身だ」ということ、つまり、「欠落部分の認識」がその人間だということ。その欠落部分をどのように認識しているか。欠落部分を正しく認識できると、欠落を埋めようという正しい意思を持つことができます。
たとえば、「人に感謝されたい」というウォントがある人が、東北の被災地にボランティアで行き、お爺さんお婆さんの介護をして、「若いのに偉いね、本当にありがとう」と言われたら、きっとものすごい達成感があるはずです。
結局、欠落感と達成感っていうのはウラハラの問題なんです。
「なぜ、頑張るか?」というと、達成感があるからでしょう。「なぜ、子供のときにスポーツをさせるべきか?」というと、「欠落感と達成感との間に正常な回路を構築するために必要だから」です。
「頑張って結果を出すと、達成感が得られるという回路」を脳と体の間に、それも早期に作っておかないと、人はなかなか頑張れるようになれません。だから、「頑張って、頑張って、頑張った末に何かを達成しました」という経験、身体としての記憶がない人は自分を持ちにくい。
自分を知るための3つの質問
「自分を把握する」という場合の自分は、「何が欲しいか」という欠落部分に正面から対峙した経験と、その「欠落=ウォント」を埋めた経験と記憶を再確認して整理することで明らかになります。