その数2万!「住職がいない無住寺院」の行方 消滅する寺院に感じる諸行無常
仏教は長らく神道と共存共栄の道をたどり、神仏習合こそが、日本特有の信仰の形であった。だが幕末の尊王攘夷論の中で国学思想が浸透し、明治時代になると「神仏分離令」が出される。これが、幕末から明治初期にかけて全国的に実施された「廃仏毀釈」と呼ばれる仏教弾圧を引き起す。
特に全体主義の県民気質が強かった鹿児島では、過激に「仏」が破壊されたのだという。廃仏毀釈の後、寺を失った墓地は市民墓地として再編され今日へと至った。寺と墓が切り離されているという現在の鹿児島県に見られる特徴は、幕末に由来を持つのである。
その後も権力と宗教との激しいせめぎ合いの中で、仏教は「方便」と「変容」を重ね、互いに利用し合う存在へとなっていく。戦時下の伝統仏教教団の多くが戦闘機や軍艦を提供し、「従軍層」や「大陸布教」といった矛盾も存在した。さらに戦後の農地改革によって、土地を保有する寺院が壊滅的なダメージを受けたことは、昨今の衰退に大きな影響を及ぼしているという。
時代の流れに乗る寺院の例
だが本書では、悲嘆にくれた終末論のみが展開されているわけではない。都市と地方の中間に位置するようなエリアで、さまざまなイノベーションが起こっているのも事実だ。賛否両論を承知のうえで「ゆうパック」による遺骨の送付を開始した埼玉県の住職。彼は檀家制度こそ諸悪の根源とし、新たな会員制度を開始した。またモダンな建築による感動葬儀を謳う寺院や、企業セミナーとして活用される事例なども紹介されている。
失われつつある寺院というテーマではあるが、改めてその実態を知るにつけ、良くも悪くも仏教という存在が宗教という範疇に収まるものなのかという疑問も湧いていくる。むしろ体系化されたナレッジと言った方が近い印象を受け、寺院の消滅はその一角が切り崩されているのに過ぎないのかもしれない。手付かず領域の多さを考えれば、未来を撤退戦と捉えるのはまだ早い。
そもそも「日本人は無宗教だから」という常套句の中で生きていく必要など、毛頭ないだろう。「葬式仏教」と揶揄する言葉は、われわれの固定概念が生み出したものではなかったか。利用したいときに利用するーーその寛容性こそが、仏教の持つ最大の特長なのである。
いずれにせよわれわれは「過去」と「未来」という連続性の中に生きており、寺院とは両者をつなぐ象徴のよう場所である。生きる意味を問う場所、それ自体がどのように生き長らえていくのか。そこに注視する価値があることだけは、間違いない。
(写真:日経BP社)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら