その数2万!「住職がいない無住寺院」の行方 消滅する寺院に感じる諸行無常
墓が全国を彷徨うーーこのような現象の背景には、寺と檀家との関係が希薄になっていることが影響している。そして改葬が増えるとともに、埋葬文化の差から生じるトラブルなども噴出してくる。檀家と菩提寺という言わば「都市と地方」の相容れない立場の隙間を埋めることは、なかなか難しいのだ。
人口減少と檀家制度
このような光景からは、「市場経済」に押されて苦境にあえぐ「贈与経済」の姿が見えてくる。寺院の生業の根幹にあるのは、檀家制度と呼ばれる仕組みである。江戸時代に幕府が定めたこの制度により、日本国民は漏れなくどこかの寺の檀家になることを義務づけられ、お布施が安定的に入ってきたのだ。このカラクリにより、長らく寺院の経営は支えられてきた。
そこへきて、昨今の人口減少問題である。地域差こそあるものの、寺院が専業で食べていくためには、少なくとも200軒の檀家数がなければ難しいと言われる。その屋台骨が揺らいでいるのだ。
この側面だけに着目すれば、「寺院消滅」は「地方消滅」と相似形の問題のようにも思える。一極集中か、地方創生か。だが寺院の問題には、「選択と集中」だけでは解決しえない問題も横たわっている。
東日本大震災における宗教施設の被害について取り上げられることは、あまり多くない。寺や神社が津波にのみ込まれ、跡形もなく消えた「被災寺院」ーーこれらの宗教施設は、震災から4年以上が経過した今でも、ほとんど再建できていないという。いわゆる「政教分離の原則」があるため、宗教団体は公の支援を受けることができないのだ。
また、仏教特有の格差問題として「尼僧」を取り巻く厳しい現実もある。一般寺院とは本店、支店のような関係にあり、脇役に徹するのが常のため、当然、経済的な基盤も脆弱だ。かつては3000人ほど存在した尼僧も今や約250人で、そのほとんどが70代以上。一方で40歳以下の若い尼僧は皆無のため、もはや”絶滅危惧種”に近い状態であるという。
このまま「消滅可能性寺院」の問題が進行し、寺院が跡形もなくなったら、どのようになってしまうのか? そんな宗教なき時代の未来予想図は、意外にも過去の歴史の中にあった。およそ150年前の鹿児島県において、県内から寺院と僧侶が完全に消えてしまった事例があるのだ。本書の後半では、ここを起点に日本仏教の黒歴史へと分け入っていく。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら