「40代で東大合格」声優が"一日坊主"推奨する理由 大切なのは「とりあえず」でも始めてみること
「三日坊主」であっても、それをしなかった3日に比べて、それをした3日は、その人にとって貴重な経験になる。
やってみて、はじめて見えてくることだってある。
私はそう考えています。
やってみて「自分には合わないかも……」と感じたとしても、それは3日続けたからこそわかったことかもしれません。
そうやってなにかを感じられただけでも、いまの自分は前の自分よりも確実にひとつわかったことがある。
そこに意義があると思うんです。
たった3日。いえ1日でも、数時間でも、数分でも。
勉強でもスポーツでも楽器でもゲームでも。
はじめてのことに挑戦して身をもって体験したその時間は、たとえ中途半端なままにやめてしまったのだとしても、あとで振り返ったときに、愉快な、甘美な、かけがえのない時間だったと私には思えます。
続けられた「3日間」が自分を変えてくれる
何年もたってから、「ああ自分はあのとき頑張ってみたんだよなあ。ちょっとだけだけど、やってみたんだよなあ」と、ほほえましくすがすがしく、ときには少し誇らしくなったりもします。
もしかしたら人からは、「そんなことくらいで。しかもちょっとだけなんて」と思われるかもしれませんけど、ちょっとだけであっても、たいした体験でなくても、「それをしなかった自分」よりも「それをした自分」の方が、私にとっては「好ましい自分」なんです。
たとえ「三日坊主」でも、その3日はずっと、それからの自分の人生にとって特別な3日間として残ります。
なにかに挑戦したその時間は、何年何十年の後にも、気持ちの豊かさを生む源泉として心のなかにい続けてくれると思うんです。
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