孫泰蔵「未来への準備をやめよ」と断言する理由 AI時代こそ大切になる「コンサマトリーな時間」
孫:(アメリカの社会学者の)タルコット・パーソンズがいうところの「コンサマトリーな時間」を味わっているのですね。つまり、即時充足性を満たす時間。「今ここ」を別の目的のための手段と位置づける「インストゥルメンタル(道具的)な時間」とは対極にあるもの。情報ネットワークが進むほど、コンサマトリーな時間の価値が高まるのではないかと僕も予測しています。
佐宗:僕もそんな気がしています。
すべての出会いは「一期一会」である
孫:戦国時代の茶の湯文化で生まれた「一期一会」の概念も、きっと近いと思うんです。当時、なぜこの言葉が流行ったのかと想像を逞しくしてみると、ネットどころか交通のインフラもなく、合戦が頻発する世の中ですから、リアルに会える機会ってめちゃめちゃ少なかったはずです。
兄弟の盃を交わした武将同士も「もう二度と会えないかもしれないな」とお互いに思いながら、顔を合わせていたことでしょう。では、もしも今のこの時間、「佐宗さんとはもう二度と会えないかもしれないだろう」と分かっていたら、僕は何を話すだろうかと考えるわけです。きっと言葉を多く交わすよりも、極上の酒や茶を共に酌み交わしながら「まあ飲め」「うまいな」と、今ここの奇跡を味わい尽くすんじゃないかと思います。一瞬でありながら永遠の、コンサマトリーな時間を少しでも感じたいと思うはずです。
佐宗:コンサマトリーは、僕も重要なキーワードだととらえています。『じぶん時間を生きる』の中でも、じぶん時間を生きるための中心的な考え方として、くわしく考察しました。未来の何かの目的のための「今」を費やすのではなく、「今のこの瞬間から未知の何かが生まれるかもしれない」と意識を向けるのでは、まったく人生を楽しめる質感が違うことを、僕自身も発見しているところです。泰蔵さんも、この概念をより大事にしていきたいと考えているんですか。
孫:はい。志を同じくする人と出会えることこそが人生の醍醐味です。そのために生きていると言っても過言ではない。そして、僕の同志はエストニアやリトアニア、ウクライナやベトナムと世界中に散らばっていて、会いに行くのは大変なんですけれど、それでもやっぱり会いに行こうとするんですね。
佐宗:同志と呼ぶ方々と会ったときには、どんなコミュニケーションをしますか?
孫:相手を驚かせたいなと、近況を伝え合うんです。「元気だった? こっちは最近こんなことやっててさ」「マジ? すっげーなぁ! 実はこっちもさ……」「えー!」というような。ちなみに、こうした驚きの交換ができる同志は現代だけでなく、過去の時代にもたくさんいます。本の中に生きる人たちです。
「最近、『教育ってなんでこうなったん?』ってモヤモヤしてるんだけどさ」と古い本をめくると、何百年も前に同じことを考えた人がいて、答えが見つかったりする。もう感動ですよ。「やっぱりな! オレもそうじゃないかと思っていたんだけど、こういう場合はどうなん?」と疑問を残してさらに読み進めると、また答えが見つかる。時空を超えた脳内対話が延々と続くんです。そのやりとりを再現したのが『冒険の書』でもあるのですが。