いつまでも引き止めておくことはできないとわかってはいるものの、身分がら、見送っていくこともできないことを帝は嘆き悲しんだ。みずみずしくうつくしかった愛する人が、今はすっかりやつれてしまっている。深い悲しみを胸に抱いて、それを言葉にすることもできず、意識も朦朧(もうろう)としている女を見て、帝は、もはや分別もなく、思いつく限りのことを泣く泣く約束する。女はもう答えることができない。目には力もなく、いっそうつらそうに、今にも息絶えそうな様子で横たわる女を前に、帝はどうしたらいいものか途方に暮れるしかない。いったんは、女を輦車(てぐるま、車のついた輿)に乗せる宣旨(せんじ)を出したのに、また部屋に戻って、どうしても女のそばを離れることができないでいる。
「運命が決めた死出(しで)の道をも、ともに旅立とうと約束したではないか。いくらなんでもこの私を残してはいかないね」
と言う帝の言葉を聞き、あまりにも悲しく思ったのか、女も息も絶え絶えにささやいた。
「限りとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり
(定められたお別れの道を悲しく思います、私の行きたいのはこの道ではなく、生きていく道ですのに)
こんなふうになるとわかっていましたら……」
と、その先はもう言えずにいる。いっそこのまま、ここですべてを見届けたいと帝は思うが、宮中に死は禁忌(きんき)である。
「今日からはじめる祈禱(きとう)の数々を、すでにしかるべき僧にお願いしてあります。今晩からはじめますので」
と周囲にせき立てられ、帝は胸が張り裂けそうな気持ちで女の退出を許可した。
大人たちが泣き惑う中
深い悲しみに沈み、帝は眠ることもできず、夏の短い夜に目をこらす。女の実家に遣わせた使者がまだ戻らないうちから、帝は不安な気持ちをしきりにつぶやいていた。
その頃、女はすでに息絶えていた。お付きの人々が泣き騒ぐ女の実家から、気落ちして戻ってきた使者は、
「夜中を過ぎる頃、とうとう息をお引き取りになりました」と伝えた。それを聞いて帝はひどく取り乱し、もう何も考えることができず、部屋に閉じこもってしまう。
せめて女の遺(のこ)した若宮は手元に置いておきたいと帝は願った。けれど母親を亡くし、喪に服す者が宮中に留(とど)まるなど、前例のないことである。若宮も女の実家に下がらなければならない。
その若宮は、何が起きたのかまるでわからず、大人たちが泣き惑うだけでなく、帝まで涙を流し続けているのを不思議そうに眺めるばかりである。通常の場合でも母親と死に別れることはとてつもなく悲しいものだけれど、こんなふうにまだ何もわからない様子なのが、よけいに人々の悲しみを搔き立てる。
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