豊臣秀頼が「徳川家康に臣従しなかった」裏事情 二条城会見での家康の行動から謎を解き明かす
このことについても「三カ条の法令については、秀頼を臣従させるのが目的ではなく、全国の諸大名を臣従させるのが目的であった。そうすることによって、秀頼は間違いなく孤立する。婉曲的な方法ではあるが、効果は高かったと考えられる。ここにも秀頼を孤立させようとする、家康の周到な準備があった」との指摘もある。
臣従を余儀なくされたのではない
とはいえ、こう指摘する研究者でも「秀頼は別格であり、諸大名との扱いと異なる」との見解には「賛成」と述べている。
よって私は、二条城会見でもって、秀頼が家康に「臣従化を余儀なくされた」との理解は当たらないと考えている。
もちろん、そのことと、秀頼の孤立が深まろうとしていることとは別問題である。
(主要参考文献一覧)
・笠谷和比古『徳川家康』(ミネルヴァ書房、2016)
・藤井讓治『徳川家康』(吉川弘文館、2020)
・本多隆成『徳川家康の決断』(中央公論新社、2022)
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