「宝塚とジャニ」被害者を追い詰めるものの"正体" 意外な人が人知れず追い詰められている

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加害者への報復より無力感や悟り

これまでさまざまな相談者さんと話してきましたが、このところ「いじめ、ハラスメント、誹謗中傷の問題で過去より深刻化している」と感じさせられるのは、加害者に対する感情の変化。

たとえば以前は、いじめの加害者に対して、「自分がいなくなることで罪や罰を与えたい」などと報復の手段として自死を選ぶ人も少なくありませんでした。

しかし、最近では「そんなことをする意味がない」「あいつらに何を言ってもムダだから」などと無力感を訴える人や、「カッコ悪いことはしたくない」「自分で死ぬことを選んだというだけ」などと悟ったような考え方の人がいるようです。もし遺書が残されていたとしても、「加害者への恨み言ではなく、家族や友人への感謝や愛情だけがつづられていた」というケースを何度か聞きました。

また、アプリのグループ、SNSのコミュニティ、あるいはネット上の不特定多数から、いじめ、ハラスメント、誹謗中傷を受けるケースが増えていることも、無力感や悟ったような考え方に至る一因と言っていいでしょう。

それ以前に、日ごろからネット上で人々の厳しい言葉や悪意を目の当たりにしているためなのか。個人からいじめを受けていたとしても、「どうせその他の人々も似たようなものだろう」などとあきらめてしまい、「この状況を何とか変えたい」「加害者にどうやめさせたらいいのか」などと思いづらくなっているところに現在の生きづらさが感じられます。

では、そんな生きづらさがある現在の世の中で、私たちは再び悲しい事態を引き起こさないために何ができるのか。最も大切なのは、日ごろの備えでしょう。

いじめ、ハラスメント、誹謗中傷は、「誰の身にもふりかかりうる」ことであり、「どの組織にも存在しうる」ことであり、それが「いつ深刻化して命にかかわる事態につながりかねない」という想定の社会にしていくこと。日ごろから互いに目配りできる人間関係や組織を作る一方で、第三者の相談窓口を悩みの種類や細部の内容ごとに設置し、各年代の聞き手を用意するくらいのきめ細かな対応が必要でしょう。

その際、覚えておかなければいけないのは、必ずしも「話していることがすべて」「外部の第三者なら安心して話せる」とは限らないこと。被害者にとって真実や本音を話すことの恐怖感は相当なものがあるだけに、「話してくれたことは、まだ一部のみかもしれない」「外部の人だから話すのが怖くなっているのではないか」などと決めつけずに対応したいところです。

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