日本の「世界に乗り遅れた感」はどこから来るのか モビリティ産業の未来はどうやら明るそうだ

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「EVシフト」が正しいことなのかどうか、筆者には正直よくわからない。充電スタンドがなかなか普及しないとか、EVの製造時にガソリン車以上にCO2を排出するとか、電池をどこに捨てればいいのかなど、多くの課題が残されている。場合によっては今後、大きな揺り戻しがあるのかもしれない。

ちなみに1人のドライバーとしては、筆者はハイブリット車に10年以上乗り続けてきて、「別にEVなんていらないや」と思っている。天下のテスラだって、中古車になったときの下取り価格がどうなるかはわかったものではない。

ただし、こういう保守性が日本市場全体を「ガラパゴス」にしてしまうというのも、ありそうな話に思える。だって、ほかの業界でも似たような話はたくさんあるではないか。

日本の自動車産業が大胆に路線変更できないワケ

思えば自動車という「財」は、20世紀初頭のT型フォードの誕生から、約1世紀にわたってほとんどその姿を変えてこなかった。つまり、ガソリンを燃やして、エンジンの上下運動を回転運動に変え、4つのタイヤを回して走らせるという構造は、T型フォードもフェラーリもほとんど違いはないのである。

ただし21世紀になって、クルマの動力源は急速にガソリンから電気に移り変わりつつある。2008年のリーマンショックから2020年の新型コロナパンデミックまで、世界経済の「危機の時代」が転機になったのかもしれない。

とはいえ、日本の自動車産業がここで大胆に路線変更できるかというと、それは難しいだろう。何しろ、自動車会社にとって今は繁忙期であり、商品はよく売れていて、利益も出ているからである。

結果として日本の自動車産業界は、「世の中はそんなに簡単に変わるものではない」という「常識」に賭けているように見える。もちろん「全固体電池」のような自前の技術革新により、日本勢が「EVシフト」でも反撃できるようになれば、それに越したことはない。ただし、それは少々話がうますぎるのではないかという気がしている。

他方、自動車産業はさておいて、モビリティー全体の未来はどうだろうか。「グローバリズム」が逆行する今のような時代には、移動そのものが少なくなるという見方がある。

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