真木よう子、喧嘩別れした仲代達矢に「謝りたい」 10代で無名塾を入団と退団、その経緯とは
「もう東京帰れ!」と激怒され、無名塾を飛び出した
樋口:あの〜、真木さんは巷に流れる“真木ようこ伝説”なるものをご存知でしょうか?
真木:え、知らない知らない(笑)。
樋口:真木さんの男前っぷりや、気風の良さを象徴する話として、日本の演劇界のトップ中のトップである仲代達矢さんと喧嘩して無名塾を飛び出したという話を聞いたことがあるんですが本当なのでしょうか? 無名塾に合格できたのは、1000名の受験者からたった5名だったそうですが……。
真木:う~ん、大体は本当です。無名塾は年に1回、塾生だけで能登半島に合宿に行ってたんです。そこで毎朝走るんですが、私は1番年下だったので20代の人たちと走るといつも遅れちゃうんです。だから迷惑にならないように、みんなより1時間早く5時から走って先に発声練習して待ってたんです。そうしたら仲代さんに「走ってない」って怒られて、「走りました」と言っても聞いてくれなくて。結局「お前はもう東京帰れ!」って激怒されて一人で帰りました。
樋口:もう一回走ってきます、じゃなくてほんとに帰っちゃうんだ! すごい。
真木:だって、もう一回走る意味ないじゃないですか。それで帰ってから、お母さんと一緒に謝りに行こうとなったんです。私としては悪くないのになんで?って思いが渦巻きつつも、とりあえず行ったんですが、仲代さんは怒って出て来てくれなくて。結局、千葉から東京まで5回ぐらい行きました。
樋口:え~!
真木:それでも仲代さんは会ってくれなくて、お母さんにも相談しないまま、塾の人に「ごめんなさい辞めます。今までありがとうございました、って言いたいから仲代さん連れてきてもらえますか?」って言って。でも最後まで来てくれなくてそのまま辞めました。
樋口:カッコいい〜〜! 結局、無名塾にはどれぐらい在籍していたんですか?
真木:2年間です。
樋口:じゃあ、きっちり基礎を学ばれたんですね。
真木:15歳で入ってから、シェイクスピアとかその辺の本はわからないながらも読み漁ってました。
樋口:無名塾の公演『どん底』(マクシム・ゴーリキーの戯曲)では、ナターシャ役に抜擢されたんですよね。10代ですごいです! その後、仲代さんとお会いすることはあったんですか?
真木:お会いする機会はなくて。大人になった今は、悪いことしたわけではないけど怒らせてしまったから謝りたいと思っているんですけど、その機会もなく。無名塾に突然行ってもいいものかと考えたりして、なんかドキドキしています。
樋口:これも風の噂で聞いたんですが、仲代さんは方々で「真木をよろしくお願いします」とおっしゃっているらしいです。僕の耳にも入ってくるぐらいですからね。菊池寛の『父帰る』じゃないですけど、仲たがいしていた父と娘が恩讐の彼方に和解する、っていう作品をやってほしい。誰か2人をブッキングしてください!
真木:いいですね(笑)。でも、私も本当に謝りに行かないとな。