真木よう子、喧嘩別れした仲代達矢に「謝りたい」 10代で無名塾を入団と退団、その経緯とは
作品選びのポイントは?
樋口:ところで、これまで真木さんは、映画『パッチギ』『ベロニカは死ぬことにした』『ゆれる』『さよなら渓谷』『そして父になる』、ドラマでは「SP」「MOZU」「最高の離婚」など、たくさんの話題作、ヒット作に出続けていらっしゃいます。作品選びのポイントはどこにあるのでしょう?
真木:特別なことはないんです。当時は、在籍していた前の事務所がいい作品に出ましょうって色々持ってきてくれたんです。私も初めはいい作品、悪い作品とか言える立場でもなかったですし。事務所が選んできた作品の中から、これはやった方がいいよ、じゃあやりましょう、とか相談しながら決めていました。
樋口:でもヒット作への出演を重ねて、俳優としての存在感が増していくと、これはやりたい、絶対やりたくないとか、要望を聞いてもらえるようになるものですか?
真木:そうですね。ただ全部が全部要望を通していたわけじゃないですし、自分ではわがままで言っているとは思ってなくて。正当な理由があって私はこの作品には出たくありませんとか、この作品は絶対出たいからお願いします、というのはあると思います。
樋口:よくハリウッドでも、例えば映画『パルフ・フィクション』の主人公はもともとジョン・トラボルタじゃなくて、ミッキー・ロークが演じるはずだった、とかって話があるじゃないですか。真木さんは、断ったあの作品、あの役があんな話題になるなんて逃した魚はデカかった! みたいな経験ってありますか?
真木:今まで出演した作品や役は、どれも結構当たってるんです。だからないかもしれない。話題にはなったけど、あまり評価されなかったって作品はありましたけど(笑)。
樋口:そうでしょうね。これまでの役も、真木さんにピッタリな、あらかじめ用意されていたような役に全部見えますし。やっぱり真木さんはすごいです!
真木:ありがとうございます。
樋口:そんな真木さんが俳優になりたいと思ったきっかけがあれば教えてください。志したのは何歳ぐらいからですか?
真木:お芝居をしたいと思うようになったのは、小学校の2、3年ぐらいですね。もともとドラマを見て1人芝居するのがすごく好きだったんです。それでお母さんにお芝居をしたいって相談して、そこから無名塾※に入り、芝居の基礎を教えてもらいました。で、前の事務所に入って今に至るという感じですね。
※俳優の仲代達矢さんが主宰する名門俳優養成所。実力派の俳優が揃い入塾の難しさから「劇団の東大」とも称される。