フィリピン・マルコス政権下でジワリ進む歴史修正 政変記念の祝日廃止、教科書の指導要領の変更…
37年前のフィリピンの政変は多くの国で、20世紀終盤にアジアをはじめ世界で進んだ民主化の先駆けとして評価されているが、マルコス家にとっては「国民を分断した歴史」であり、和解が必要な出来事との受け止めだ。
「ニノイ・アキノは共産主義者」との投稿
祝日でいえば、もう1つフィリピンの現代史に絡む重要な日がある。8月21日の「ニノイ・アキノ・デー」だ。
マルコス独裁時代の野党の上院議員で、シニアの最大の政敵だったアキノ氏(コラソン氏の夫)が亡命先のアメリカから1983年8月21日に帰国、マニラ国際空港に着陸した機内から国軍兵士に連行され、タラップを降りる途中に射殺された。この暗殺事件をきっかけに反マルコス運動が広がり、1986年の政変につながった。
2023年に続き2024年もこの日は祝日のままだ。「革命記念日」は毎年大統領令で祝日になっていたが、8月21日は法律で定められた祝日であり、議決を経ずには変更ができないからだ。アキノ家嫌いで有名だったドゥテルテ前大統領を含め、歴代大統領はこの日にアキノ氏を称えるメッセージを出していたが、ボンボン氏は2022年、沈黙を守った。
その一方で、マルコス支持派からは「ニノイは英雄ではない」「NPA(フィリピン共産党新人民軍)のゲリラだった」などとする投稿がSNSにあふれた。地元メディアによると、バタンガス警察署、ケソン海上警察署、サマール州スタマルガリータ警察署などは「共産主義テロリスト」とアキノ氏を名指しする内容をツイッター(現X)に投稿した。警察本部の指示で間もなく削除されたが、関係者が処分されることもなかった。
「ニノイ・アキノ」の名前は、暗殺現場であるフィリピンの空の玄関に冠されている。政変後の1987年、コラソン・アキノ政権下で、首都圏の基幹空港はマニラ国際空港から改称された。ところが、現政権が誕生した当日の2022年6月30日、与党の下院議員が「フェルディナンド・マルコス国際空港」に改称する法案を提出した。
「完成させ、遺産とした人物の名前のほうがふさわしい」との提案理由だが、空港そのものはシニアが政権に就く前に完成し、国際線も飛んでいた。シニアの政権時に完成したのは第1ターミナルビルだけだ。
今のところニノイ・アキノ国際空港のままだが、道路や公共施設の名称が頻繁に変わるフィリピンでいつまで維持されるかは見通せない。
歴史修正の直接的な常套手段は、教科書の書き換えだ。
ボンボン氏は大統領就任後の2022年9月、テレビのインタビューで教科書の記述修正に言及している。父のシニアが宣言し、多くの人権侵害を生んだ戒厳令について、司会者が「マルコス家が権力にとどまるために布告されたと学校で教えられた」と水を向けると、ボンボン氏は「当時はNPAとイスラム教徒反政府勢力との内戦を抱えており、国家防衛のために必要だった」との認識を示した。
そのうえで、マルコス陣営の主張が主要メディアなどに受け入れられてこなかった理由について「勝者が歴史を書くからだ。事実に反しているものは修正すべきだ」と話した。
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