「がんばりすぎる人」ほど変われない悲しい理由 もはや自分の意識では動いていない
断りたいのに断れない、逃げ出したいのに逃げられない。
幸せになりたいはずなのに、幸せになるのがこわい。
自分は接近したいのか、拒絶したいのか。何をしたいのかがわからない。
こうした矛盾と自己嫌悪が自分の中で積み重なるうちに、「私のようなちぐはぐな人間は、幸せになれるわけがないし、その価値もない」という負の信念のようなものを持つようになります。
葛藤が自分の意識の中で起こっているか、そうでないか
これは「自我同一性(アイデンティティ)の障害」といわれるものです。
自分という存在に統一感がない、本当の自分がわからないという感覚が続くと、自分が「分裂」しているかのように感じるでしょう。
もちろん、矛盾や葛藤はだれにでもあるものです。たとえば、「夜中にラーメン食べたいな、でも太るからやめようかな」といったレベルのもの。これと「自分の分裂」はどう違うのでしょうか。
重要なのは、葛藤が自分の意識の中で起こっているか、そうでないかということです。
公園のシーソーと、それを見ている自分をイメージしてみてください。ラーメンを食べたい衝動は、「ラーメンを食べようかな」と「太るからやめようかな」という2つの気持ちがシーソーの両側に乗っているのを、そばにいる自分が把握できている状態です。自分が意識できる範囲の中で、異なる欲求によって揺れ動いているという葛藤ですね。
一方で、自分が意識できる範囲の外で起こる葛藤は、シーソーの片側に正体不明の気持ちがドーンと乗っかってきて、大きく揺らいでしまう状態です。たとえば、「恋人を大切にしたい」と思っていたのに、なぜか急に「この人と離れなければ!」というナゾの恐怖にかられてしまう、などのケースです。
突然現れた不可解なものにパニックを起こしている感覚。これが、自分の分裂を伴う葛藤です。夜中のラーメンとは、苦痛の次元が違うのです。
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