「なぜ英語を勉強するの?」子どもにどう答えるか 知っておくべき"教養としての英語"という視点
以前、民間のスピーチ大会に審査員として参加したときに、小学生のある女の子がこのように発表していたのが印象的でした。
「家族と旅行をして温泉に入ったとき、外国人の家族が“かけ湯”をせずにいきなり湯船に入ってきました。はじめは嫌だなと思いましたが、『彼らは日本の文化を知らない』ということに気づいたのです。もっと私が英語を話せたらきちんと説明してあげられたのに……」
この女の子は「国や地域には、独特のルールや文化がある」ということに実体験を通して気づいたのです。そして、外国人が日本の独特の文化を知らないからといって非難してはいけない、ということにも自分で気がついたわけですね。私は、このことによって彼女が学んだのは「寛容な心」だと思うのです。
小学校3年生から授業に英語を取り入れることになった目的についてよく聞かれるのですが、それはまさに、このような「寛容な心」を育てることにもあると思います。肌の色や髪の色、文化の違いがあっても、それは嫌なことではなく、「ワクワクする」ことです。
先ほどお話しした女の子から「もっと英語を話せたら……」という発言がありましたが、このような経験から子どもたちは言葉の大切さや、コミュニケーションの手段としての英語の価値を実感していきます。
身につく力は「言語能力」だけじゃない
「日本にいると英語を使う機会が少ない。英語は役に立つのですか?」
「世界にはいろんな言語がありますが、他の言語ではなくなぜ英語なのですか?」という質問をよく受けます。
英語は、いまや英米・オーストラリアだけの言葉ではないと児童、生徒には説明しています。世界ではさまざまな言葉が使われていますが、英語はいわゆる「国際共通語(リンガ・フランカ)」なのです。
日本でも、多国籍の住民が生活する地域では英語を共通語として位置づけ、コミュニケーションの土台として使おうとしているケースもあります。公共交通機関でも英語のアナウンスが使われていますよね。
小学校から英語を学ぶひとつの意味は、「寛容な心」と「ワクワクする心」を育てることだとお話ししました。もうひとつは、やはり「コミュニケーション力を養う」ということだと思います。
コミュニケーション力というのは、日本語・英語関係なく、自分が考えていることをきちんと伝えられる力であり、他人が話していることをきちんと聞く力です。
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