ジャニーズ問題、日本企業が知るべき「海外の視点」 ビジネス優先で「見て見ぬふり」は許されない
2000年1月に喜多川氏の性加害問題を報じたニューヨーク・タイムズの東京特派員カルビン・シムズ氏は当時、「たいていの日本の記者たちは、公式のニュース提供源に依存しており、政府機関、企業、PR会社から提供される情報をめったに独自調査しようとしない」と指摘した。
欧米と比べ、組織としてのメディア、ジャーナリストの独立性の弱い日本の弱点が、今回の性加害問題でも露呈したといえるかもしれない。
その組織優先の考え方からすれば、エンターテインメントの商材であるタレントを供給する芸能事務所と彼らの起用で利益を得るテレビ局、スポンサー企業、広告代理店、話題提供されるメディアは、すべて組織として連携しており、シナジーによる莫大な利益をもたらす構造が出来上がっていた。すべての企業が利益追求目的を共有しており、そこに水を差す行為はたとえ人権問題でも排除されていた可能性がある。
「異文化に対する無知」という危うさ
ジャニーズの性加害問題は、人権意識において世界との温度差を露呈させたともいえる。それは異文化に対する無知にも起因している。世界の総人口に占めるキリスト教、イスラム教の信者の割合は50%を超える。さらにユダヤ教の約1400万人を加えた一神教徒が共有する旧約聖書には性に関する記述は少なくない。とくに性の倒錯に関しての戒律は厳しい。
多様化が最も進むキリスト教でも、アメリカのキリスト教保守の福音派を信じる若者は今でも婚前交渉を控えている。イスラム諸国では、旧約聖書に登場するソドムとゴモラの町では人々が「淫行にふけり、不自然な肉欲に走ったゆえに神の怒りを買って滅ぼされた」とあり、同性愛を含め、LGBTQ+は認められていない。
キリスト教、イスラム教の国でビジネスを展開する日本企業は多い。相手の尊重している価値観を無視すれば、企業価値を落としかねない。ローカリゼーションにも逆効果だ。もし「ビジネスと宗教的価値観は別物」という考えを持っているのであれば、すぐに変えたほうがいい。
無論、宗教専門家たちの間では、どの宗教も教義を厳格に守って暮らすのは一握りだと見られ、宗教によって標準化された慣習やモラルの逸脱の許容度は国や地域によって異なる。とはいえ、だから完全に無視していいとは言えない。それは何か事件が起きた時に異文化の壁は軽視できないものになる。
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