懸命に運行される被災地路線バス、大船渡では車内を事務所代わりに
マグニチュード9・0の地震が東北を襲ったとき、大船渡市に営業所を持つ岩手県交通の鷲田義盛さんはバスを運転中だった。
「2010年2月のチリ地震でこの辺にも津波が来た。その経験が役に立った」。鷲田さんは乗客を乗せたバスを、避難場所として決めてあった立根町の高台に走らせた。
同時刻、大船渡市の営業所にいた社員たちはバスに飛び乗り立根町の高台を目指して、ありったけの車両を避難させた。休日にもかかわらず自家用車で駆け付け、バスを避難させた社員もいた。その結果、大船渡営業所が保有するバス31台のうち、22台のバスを津波から守った。
最後尾のバスは津波に襲われたが、運転手は目の前にあった木にしがみついて九死に一生を得た。そして守った22台のバスと引き換えに営業所に置いてあった社員の自家用車29台は津波にのまれた。
悲嘆に暮れる間もない。被災直後の14日には市から、「海外からのレスキュー隊を運ぶためにバスを走らせてほしい」と要請を受けた。
「家や家族を失った社員は多い。本当は行方不明の家族を捜せって言いたかった。でもバスを走らせてほしいと頼んだ」(近藤昌利・大船渡営業所所長)
最初の数日はバスで米国や英国のレスキュー隊を運んだ。その後は避難所の被災者を自衛隊の入浴車へ送迎することが主な仕事になった。
3月末、市から「バスを借り上げ、市民のために無料循環バスを走らせたい」との提案があった。公共交通として市民の役に立ちたい--。しかし30台近いバスを置けるような場所は仮設住宅や自衛隊に優先的に明け渡されており、残っていない。