斎藤幸平「企業に商品化される神宮外苑」の大問題 「私有地だから自由」は社会の豊かさを破壊する

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――事業者側は、民間事業者が所有する土地での再開発であることを強調しています。

そもそも神宮外苑の4分の1は、国有地だ。そして私有地の部分についても、何をしてもいいわけではない。私的所有の権利は、すべての自由を保障するものではないからだ。

さらに言えば、神宮外苑の公共性の高さには特別なものがある。歴史を見ればすぐにわかるが、100年前に全国から献金や献木があり、10万人以上の勤労奉仕でつくりあげられた。現代で言う、クラウド・ファンディングであり、ボランティアだ。戦後に国から明治神宮に格安で払い下げられた際にも、「民主的に管理すること」という条件付きだった。

だから当然、その再開発の仕方には市民の声が反映されてしかるべき。にもかかわらず、みんなが知らないうちに水面下で再開発の計画が立てられ、計画発表と同時に大きな反発が起きても、強引に工事が進められようとしている。

空や景観を企業が独占するために超高層ビルを建てる

誰でも自由に出入りできた「建国記念文庫の森」は囲いで覆われ、多くの樹木が伐採される(記者撮影)

例えば、市民に開かれていた場所が、会員制テニスクラブやショッピングセンターなど、たくさんのお金を使わなければ楽しめない公共性の低いものに置き換えられていく。これは「コモンの潤沢さ」の破壊だ。空や景観を企業が独占するために、あの静かなエリアに200メートル近い超高層ビルを建てるというのも尋常ではない。

この話をネットやSNSですると、私有地に対して部外者がとやかく言うべきではないとか、神宮外苑を維持するにもお金がかかるのだから、(再開発で維持費を稼ぐことは)仕方ないといった意見が寄せられる。しかし、このような考え方はまさに「魂の包摂」(※)の典型だ。

※マルクスが『資本論』で論じる概念。例えば、ベルトコンベヤーを導入して、単調な作業を繰り返させるのが典型的な「包摂」。労働者は自律性を失い、資本の命令に従う従順な労働者になっていく。これを発展させて、現代のマルクス主義者は、労働の現場だけでなく資本の論理に従って生きるようになることを「魂の包摂」と呼んでいる。
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