プーチンが「グローバリズム」を警戒する根本理由 エリツィン時代に40代のプーチンが見た現実

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茂木:ですから、プーチンはドイツ語が非常に堪能です。ドイツのアンゲラ・メルケル前首相とも通訳なしでしゃべっていたようです。

松本:KGB時代にソ連崩壊があり、そしてこのことがプーチンにとっての最初の蹉跌、つまり試練だったとよく言われます。プーチンが諜報機関出身であるということは、彼のその後の政治家としての足跡にどのような影響を与えているのでしょうか?

スパイに憧れていたプーチン少年

茂木:僕が興味を持っているのは「プーチンは共産主義だったのか?」という点です。確かに、彼の父親は共産党員でした。独ソ戦(1941~45)を戦ってしょうい軍人となった。ただしプーチンは、少年期から「共産主義」というより「スパイ」に憧れていました。彼は中学生の時にKGBを訪れて、「どうすればKGBに入れますか?」と聞いている(笑)。

松本:見どころのある中学生だ(笑)。

茂木:そのとき対応したKGBの職員に、こう言われたそうです。「KGBは外から来る人間は一切信用しない。もし君が使える人材だったら、こちらから声をかける。だからそれまでは、スポーツや勉強を頑張りなさい」と。

それで14歳のプーチン少年はどうしたかというと、その教えを守って「体を鍛えよう」となった。彼はすごく小柄だったので、小柄でも通用する運動は何かと考え、柔道を選んで精進し、そのまま高校、大学へと進みました。そして、どうやら大学を出る頃に、KGBのほうから接触があったようです。

松本:ということは、「面白そうな中学生が来た」という情報がKGB内で引き継がれていたのでしょうか?

茂木:推測にすぎませんが、KGBはプーチン少年をリサーチしていたのでしょうね。

松本:なるほど、諜報機関というのはそのくらいの能力はあると思います。相手が中学生であっても追跡を開始するわけですね。

茂木:要するに「見どころがある」と。プーチンはKGBのレニングラード(サンクトペテルブルク)支部に入って、諜報の勉強を始めました。そして、先ほど松本先生がおっしゃったように、東ドイツに派遣された。

松本:プーチンがスパイになりたいと思った1つのきっかけは、彼が小学校高学年か中学生の頃に観た『スパイ・ゾルゲ』という映画だった、と聞いたことがあるのですが。

茂木:その逸話は知りませんでした。

松本:プーチンが中学生前後の頃ですから1960年代です。

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