プーチンが「グローバリズム」を警戒する根本理由 エリツィン時代に40代のプーチンが見た現実

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松本:プーチンの経歴に話を戻しましょう。東ドイツの崩壊後、プーチンはレニングラード、いまのサンクトペテルブルクに帰ってきました。ところが今度はソ連が崩壊してロシアになり、彼はなんとタクシー運転手までやって生計を立てていたそうです。その後、レニングラード大学の恩師が市長になったときに声をかけられ、プーチンは政治の世界に入った、と一般的にはいわれています。

茂木:アナトリー・サプチャークですね。ソ連崩壊の年(1991)に、サプチャークがレニングラード市長になっています。

「エリツィン時代」が大きな原動力に

松本:はい。そしてプーチンは、サプチャークのもとで手腕を発揮していくうちに有名になっていきました。当時の大統領はミハイル・ゴルバチョフからボリス・エリツィンに代わっていたのですが、このエリツィンに若きプーチンが見出されていく。これは1990年代の「プーチンの飛躍」の一番大きな要素だったように思います。

茂木:この「エリツィン時代」が、現在のプーチンの大きな原動力になっていると、僕は見ています。急進改革派のエリツィン政権は、共産主義に対する反動から、アメリカ型の自由主義経済を信奉していました。保険も年金もカットし、国営企業の売却を進めました。

松本:「オリガルヒ」が大活躍していた頃ですね。

茂木:はい。オリガルヒとは、旧ソ連諸国の資本主義化(主に、国有企業の民営化)の過程で形成された新興財閥のことですが、彼らが政治的にも大きな影響力を持つようになり、ロシアの政財界を支配していました。

松本:まだ力がなかったプーチンは、オリガルヒを苦々しく横目で見ていた、と推測できます。

茂木:当時は共産主義の反動で、むき出しのアメリカ的な市場経済がドーンと入ってきて、ロシアの一般大衆は貧困にあえいでいました。社会主義は最低限の生活を保障していたのですがそれもなくなり、おじいちゃん・おばあちゃんが路頭に迷うようになってしまった。

その一方で、新興財閥のオリガルヒがいて外国資本と結託して富を独占している……。だから資本主義、というより世界の市場統合と弱肉強食を是とするグローバリズムの一番ダメな部分をプーチンは見ていたのです。

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