僕がひきこもりたちと事業をつくってきた理由 社会にもっと「はみ出したままでOK」な場を
――革命を起こすために、はみ出していない人たちと戦って変えていけばいいのでしょうか?
たしかにはみ出し者たちは革命を起こせるかもしれません。でもはみ出していない人たちと対立してしまうと、力を持っていないのでつぶされてしまう。だから戦うんじゃなくて、ユーモアが必要になるのだと思います。「こいつら、偉そうにしやがって」、「成功しやがって」という気持ちで正面から戦うのではなく、はみ出したからこそできるやり方で勝負すればいい。
たとえば、今NEET株式会社に所属しているあるメンバーは「ゲームのレベルアップ代行サービス」でお金を稼いでいます。とある人気ゲームの特殊なステージをクリアするのがすごくたいへんらしいのですが、彼はネットに「1回5000円でやります」と書き込んだ。そしたら20件ほど応募がきたそうです。彼自身も努力して、今では15分でステージをクリアできるようになって「今オレは15分で5000円稼げるんですよ」と話していました。ニートらしいユーモアあふれる働き方の1つですよね。
そんな生き方を、レールに乗って生きてきた人たちが見て、「あれ? 自分の生き方が正しいと思っていたのに、はみ出している奴のほうが稼げてない?」、「あっちのほうが楽しそうじゃない?」と立ち止まるようになったら、変化が起こると思います。
若者に感じる「愛情の格差」
――ユーモアで社会を変えていくということは大事ですね。今の社会は、はみ出し者どうしで戦い、傷つけあっているように感じます。
僕がつき合ってきたひきこもりやニートの若者たちのなかに、1つ大きな格差があると感じています。それは愛情の格差です。親などから愛情を与えられてきたか、与えられてこなかったかの格差です。愛情を与えられてきた人は、他人とぶつかったときにある程度相手を許せるんです。そういう人はみんなから慕われて前に進む。学歴がなくても貧乏でも、見た目がイケてなくても関係なく他人から愛されるんです。
一方で人に愛されたという感覚に乏しい人は、他人を許せず自分を守るために攻撃的になってしまう。そうするとまわりの人が去っていってしまう。チャンスを逃してしまうんです。
たとえどんな状況になったとしても、親や身近にいる人が「いいじゃないか、健康なんだから」、「生きているだけでハッピーじゃないか」と、その人の存在自体に価値があると言えるかどうか。それとも、「なぜ学校へ行かないんだ。行かないと仕事もしていけないし、クズだぞ」と否定してしまうかどうか。
仮に否定され続けたとしたら、本人はそう言われることを避けるために、他人に対して攻撃的になってしまうと思うんですよね。何があろうと「あなたは家族にとって最高の存在である」とちゃんと伝えることが大事なんです。