僕がひきこもりたちと事業をつくってきた理由 社会にもっと「はみ出したままでOK」な場を
自分がどんな存在であっても、何も持っていなくても、それによって自分の価値が失われるわけじゃない、とわかっている人は愛情を持てる。心に余裕が生まれ、仲間を見つけて人に頼ったり頼られたり、その人なりの活動をできている気がしますね。
はみ出すままでOKな居場所を
――はみ出し者として、どういうふうに大人になっていけばいいですか?
自分以外の人に出会うなかで、意見が合わなかったり考えがズレることはたくさんあると思うんですよ。そのときに、自分とのちがいにおびえないこと。同じであるほうが安心だと思う気持ちはわかるけど、ちがうことを怖いと思わなくていい。堂々と「こんなにちがうのか」とちがいを楽しめばいいんです。そうすれば、はみ出すことを恐れず、人とのちがいを味わいならが生きることができる気がします。
そして社会のなかに、はみ出したままでOKな場がもっとたくさんできるといいですね。「みんなで社会をよくしよう」、「みんなはクズじゃないんだ」という居場所はあるけれど、それだけじゃつまらない。だいいち、「俺はクズかもしれない」と思っている人に対して、「あなたはクズじゃないよ」というメッセージは本当に有効でしょうか。だって「クズしゃないよ」って言われたら、自分がクズではいられなくなるじゃないですか。
僕がNEET株式会社でやってきたことは、すべてのクズがクズのまま居られる場なんです。「いやーみんなクズだな、いいね!」って言い合える場です。そういう場所がもっと増えてもいいと思うんですけどね。
僕はロックミュージックにめちゃくちゃ影響を受けてきました。でもロックって長いあいだ、舐められてきたと思うんです。バンド演奏されるロックやポップスのことを「軽音楽」と言いますよね。クラシックや伝統的な音楽に対して「軽い音楽」と舐められてきた。でもそんな「軽音楽」が、僕を含めた多くの人に感動を与え、人生を一変させるほどの衝撃を与えてきたんですよ。
そんなロックの歴史をふりかえって思うのは、僕は「軽人間」でありたい、と。軽音楽があるように、軽人間もあっていいと思うんですよ。それはいい加減に生きる、ということではなくて、真面目に生きすぎないようにしたいということです。でないと、みんながよいと信じている価値観に縛られてしまうし、みんなが何かを選んだときに、同じものを選ばなければいけないような気になってしまう。
でもそんなときに、クラシックに対してロックという「はみ出し者」がいたように、自分も常識やルールからはみ出していたい。そうすれば、多少ヘンな目で見られても、自分のやりたいことを追求していけますからね。
――ありがとうございました。
(聞き手・古川寛太、編集・高山かおり、茂手木りょうが)
福井県出身。実業家、プロデューサー。慶應義塾大学特任准教授、株式会社NEWYOUTH代表取締役などを兼任。新しい働き方や組織、地方創生・まちづくり、キャリア・教育などに関する実験的企画や研究活動をプロデュースする。愛称は「わかしん」。テレビ、ラジオ等のコメンテーターとしても活躍中。
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