心身両面で子どもを放射能から守る努力を--ナターシャ・グジー 歌手/バンドゥーラ奏者 

心身両面で子どもを放射能から守る努力を--ナターシャ・グジー 歌手/バンドゥーラ奏者 

「三日間避難してください。必要なものしか、持っていかないで。三日後に帰ってきます」

1986年4月27日。旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所事故の翌日、原発から3・5キロメートル離れたプリピャチ市の市民に、このような避難命令が出された。当時6歳だったナターシャ・グジーさんは、二度と自宅に戻れず、数回の移住を余儀なくされ、周囲の子どもたちのはかなく、悲しい人生も目の当たりにする。

現在は日本滞在11年目で、ウクライナの民族楽器「バンドゥーラ」を手に歌手活動を続けるナターシャさん。彼女をはじめ、チェルノブイリ原発事故で被災した子どもたちは、その後どうなったのか。

──避難命令で家を離れてからは、どのような生活でしたか。

プリピャチから1000キロメートル離れた祖母が住む村に移り、その村の近くの街にまた移り、9月に小学校に入学。その後、首都キエフで事故被災者向けの住宅に移り、近くの小学校に転入しました。事故から約半年経った11月のことです。

──家族はどんな様子でしたか。

原発の職員だった父は、事故後も13年ほど働き続けました。キエフから120キロメートル離れた原発でひと月に2週間働き、その間は家を留守にしていました。母は父の健康をとても気にし、思い余ってよく夫婦げんかをしていました。事故前には一度も見たことがなかったのですが。

当時の父は事故処理を行い、その後も働き続けたため、ストレスがあったと思います。特に、プリピャチで住んでいた家が地中に埋められたことが大きかったように思えます。父はその作業を見ていたらしく、非常にショックだったそうです。母にも当分、埋められたことを言えなかったほどでしたから。

政治・経済の人気記事
トピックボードAD
関連記事
  • 就職四季報プラスワン
  • ぐんぐん伸びる子は何が違うのか?
  • この新車、買うならどのグレード?
  • 「米国会社四季報」で読み解くアメリカ優良企業
トレンドライブラリーAD
  • コメント
  • facebook
-

コメント投稿に関する規則(ガイドライン)を遵守し、内容に責任をもってご投稿ください。

ログインしてコメントを書く(400文字以内)
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
トレンドウォッチAD
省電力・広域通信“0G”の衝撃<br>IoT化の隠れた主役LPWA

低速ながら電池で数年動くほどの省電力で、基地局から10km以上もの広域通信が可能。 LPWAという通信方式は超高速の5Gとは対極で、関係者に「0G(ゼロジー)」と呼ばれています。検針やモニタリングなど静かな普及の現場を取材しました。