この仮説と検証の行為は、何も勉強のときに限った話ではありません。
人気が出た映画やアニメがあれば「なぜヒットしたんだろう」とか、お笑いコンテストがあれば「この芸人がウケた要因はどこだろう」といったように、身の周りのささいな物事に対して自分なりの問いを立て、答えを出してスッキリしたいという東大生は非常に多いです。こうして普段から考える力が自然と鍛えられているわけですね。
そして、このような問いを考える際に、必ずしも「正解」を出そうとする必要はありません。想像力を養ううえで重要なのは、常識を疑う姿勢や多角的に物事を捉える視点だからです。仮説が間違っていても、「そういう考え方があったのか」と視野が広がって、後に生きてくるでしょう。
また、正解がないことを考える場面もあります。例えば2022年の東大の英作文では「『芸術は社会の役に立つべきだ』という主張について、あなたはどう考えるか。」という問題が出ました。絶対的な答えのない、難しい問いですね。みなさんなら、どう答えるでしょうか?
もちろん東大生でも普段からこんなことを考えている人はそう多くはないでしょう。
それでも普段から思考のトレーニングを積んでいれば、「芸術の意義や価値にはどんなものが考えられるか?」とか「役に立たないとしたらどういう場合だろう?」といった具体的な視点から、自分なりの考えが構築できると思います。英語力よりも思考力の差がはっきりと出る問題だと言えますね。
記事の冒頭の問いをどう読んだ?
さて、ここまで東大に合格する人は考えるトレーニングを積んでいるという話をしてきましたが、ここでちょっとイジワルな質問をしたいと思います。
私はこの記事の冒頭で「東大に合格する人は、勉強を勉強だと思っていない人たちだ」と述べました。おそらくみなさんは「どういうことだろう?」と感じたことでしょう。
そのとき、そのままスーッと文章を読み進めましたか?
それとも、いったん立ち止まって、自分なりの仮説を立ててから読み進めましたか?
「おそらくこういうことなのではないか」と思って読み進めた人は、どれくらいの数いらっしゃるでしょうか。
このような何気ない瞬間でも、考える力をトレーニングするきっかけにすることができます。ついそのまま読んでしまったという人は、日常の「なぜ?」に対して仮説を立てる習慣をぜひ意識してみてください。
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