いかがでしょうか。
漫画で触れられていたとおり、東大に合格する人は、「勉強する」ということと、「想像する」ということが、同義になるタイミングがあると感じます。
例えば東大の入試は、思考力を要求される記述式の問題が非常に多いです。
「なぜシャッター通り商店街は増えているのか」「なぜ世界大戦と呼ばれる戦争は20世紀まで発生しなかったのか」「なぜ朝焼けが綺麗な日は雨になりやすいのか」など、「なぜ」を想像するトレーニングを日頃行っているかどうかを問う問題が出されているのです。
これらの問題に対応するために、東大生は「なぜ?」という視点で物事を眺め、「こうではないか?」と想像力を働かせて仮説を立て、検証することが習慣になっています。この習慣があるかないかで、合格レベルの学力に到達するか否かの差が生まれると言えるでしょう。
東大は答えを「想像する」人を求めている
こうした「なぜ?」と考えて検証するというのは、多くの人がイメージする「勉強する」ということとは違うと思います。
多くの人の想像する勉強は、答え自体を覚えていく過程でしょう。「シャッター通り商店街はこういう理由で増えている」と、あらかじめ決められた答えを「覚える」人が多いと思いますが、東大はそういう「答えを覚える」行為をしてきた人を落とす問題を出しているのです。
そうではなく、勉強の過程で答えを「想像する」ことが習慣になっている人を積極的に合格させるための問題を出しているのです。
この定義で言えば、桜木先生の言うとおり、東大生は直前期になればなるほど、「勉強をしなくなっていく」のです。ただ問題を解くのではなく、全く受験で関係のない科目の勉強をしたり、興味があって想像力を養えそうな本を読んだりして、いわゆる「勉強」以外のことをする場合が多いのです。だから私は、「東大生は勉強を勉強だと思っていない」とお話ししたのです。
例えば、難しい問題が解けずに答えを確認する際などでも、考えるのを放棄してすぐに答えを見るのと、わからないなりに「ああでもない、こうでもない」と思考を巡らせたうえで答えを見るのでは、「ああ、そうか!」と印象に残る度合いが全然違いますよね。
今はネットで何でも簡単に調べられるために、余計にこの「考える」というステップの有無が思考力の差として表れると思います。
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