それぞれ、年間で150万円ずつ支給されるが、そもそも1年でかかる学費が300万円であった。日本はもちろんのこと他国と比較しても、アメリカの大学の学費はべらぼうに高く、州立でも日本の私立大学程度かかる。そして、物事は順調には進まない。
「奨学金の申請のために、毎年、翻訳業者に父親の確定申告書を訳してもらっていました。ところが、2年生のときにいつもと違う業者にお願いしたところ、翻訳ミスで『事業収入』と『所得』を間違えて訳されてしまったんです。その結果、給付の基準を超えてしまい、低所得家庭出身者向けの奨学金を1年間受給できませんでした。慌てて寮が募集しているアルバイトに応募して、なんとか食費と寮費は免除してもらいました」
しかし、当然それだけでは学費は足りないため、追加で日本公庫から130万円を借りる。借入金は5年間で330万円になった。
それでも、アメリカで学生ローンを組むよりは断然利率は低かった。というのも、同国の学生ローンは利率が8%前後ということもあり、借りただけで卒業後に破産する学生も数多くいるからだ。
「貧乏アジア人怖い!」 他の車が私たちの車を明らかに避ける
かくして、川嶋さんは日本の学生ローンとアメリカの給付型奨学金を上手に管理をしながら、日本の大学では経験できないような学生生活を送った。
「大学での専攻はリベラルアーツで、中でも環境問題を中心に勉強していました。週に何日も徹夜して論文を書きつつ、休みの日は先輩たちから代々受け継いだボロボロの車に相乗りして、みんなでビーチに行ったり、アイスクリームを食べたりしていましたね。
大学はセレブたちが集まる街にあったので、わたしたちは異様だったかもしれません。他の車が私たちの車を明らかに避けるんですよ。きっと、『もしぶつかっても、こいつらは賠償金を支払えない』と思ったんでしょうね。でも、楽しい日々でしたね」
こうして1年の語学研修期間を含め、5年間アメリカの大学に在籍した川嶋さん。大学卒業後は、イギリスの名門大学の大学院への進学を希望する。
「純粋に勉強したい分野がその大学院にしかなかったんです。経済状況のこともあって周りからは『日本の国立大学を受けたら?』と言われましたが、受験自体はあまりお金がかからないですからね。それに、イギリスの修士課程は1年だけなんですよ。だから、別に失敗してもいいから、とりあえず受けてみようと思ったんです」
そして、23歳のときにイギリスの大学院に入ることができた。しかし、その生活は想像を絶するものだった。
「学びは相当ありました。ただ、学部時代もそうでしたが、たびたび徹夜で文献を読み込み、クリスマス休暇も論文執筆で終わっていました」
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