それも無理はない。沼田は、新潟と長野の両方から関東へと至る要衝であり、軍事上の重要拠点である。家康に抵抗するために、昌幸は越後の上杉景勝と手を結んでしまう。
怒った家康は、秀吉との「小牧・長久手の戦い」が和睦によって終結すると、天正13(1585)年8月に真田討伐に動く。しかし、上田城に籠城する少数の真田勢に撃退されて、第一次上田合戦はまさかの敗北に終わってしまう。
石川数正の姿が見えなくなる
人生はいつもでこぼこ道だ。小牧での戦いで秀吉に一泡吹かせて、手紙で戦果をアピールしていた頃の好調ぶりはどこへやら。そんな家康をさらなる悲劇が襲う。
石川数正の姿がどこにも見えない――。古参の重臣が家康のもとを離れて向かった先は、秀吉のもとだった。
【参考文献】
大久保彦左衛門、小林賢章訳『現代語訳 三河物語』(ちくま学芸文庫)
大石学、小宮山敏和、野口朋隆、佐藤宏之編『家康公伝〈1〉~〈5〉現代語訳徳川実紀』(吉川弘文館)
宇野鎭夫訳『松平氏由緒書 : 松平太郎左衛門家口伝』(松平親氏公顕彰会)
平野明夫『三河 松平一族』(新人物往来社)
所理喜夫『徳川将軍権力の構造』(吉川弘文館)
本多隆成『定本 徳川家康』(吉川弘文館)
笠谷和比古『徳川家康 われ一人腹を切て、万民を助くべし』 (ミネルヴァ書房)
平山優『新説 家康と三方原合戦』 (NHK出版新書)
河合敦『徳川家康と9つの危機』 (PHP新書)
二木謙一『徳川家康』(ちくま新書)
日本史史料研究会監修、平野明夫編『家康研究の最前線』(歴史新書y)
菊地浩之『徳川家臣団の謎』(角川選書)
太田牛一、中川太古訳『現代語訳 信長公記』(新人物文庫)
野田浩子『井伊家 彦根藩』(吉川弘文館)
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