有田哲平さん母、84歳で世界大会出場の「原動力」 巡ってくる"ツキ"を見逃さなければ、人生は楽しくなる

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それ以降は、水泳とは一切関わらない生活を送っていました。事務の仕事をしながら、趣味で日本舞踊を始めてみたりして。

結婚、出産、育児も経験して、充実した毎日でしたよ。

仕事、育児、家事、趣味と忙しく過ごしているうちに、子どもたちもすっかり大きくなって。

少し時間にゆとりが生まれてきた頃に、水泳協会から連絡が来たんです。

「指導員をやらないか」とのお誘いでした。40歳くらいの時ですね。

もう水泳には関わりたくないと思っていたので、断っていたんだけれど、何度も何度も声を掛けてくれて。

熱意に押されて、取りあえずプールに行ってみたんです。

いざプールを目にしてみたら、「楽しそうだな」という思いがふつふつと沸き上がってきたんですよね。不思議なものですね。

これがきっかけで、指導員として子どもたちや初心者の人たちに教えることになりました。やるからにはちゃんとやろうと思って、水泳指導員の最上位資格も取りましたよ。

指導員の仕事は、それはもう楽しかったですよ。できなかった子どもができるようになっていくのを見るのはすごくすてきな経験でしたね。

真剣にやればやるほど、子どもたちは上達するんですよ。中には九州大会で優勝する子もいました。

こういう水泳の楽しみ方もあるんだというのは、発見でしたね。

指導員時代の有田さん(画像:Woman type編集部)

しんどい気持ちを一変させた世界マスターズ

指導者の仕事をする中で、「世界マスターズ水泳」という大会があることを知りました。

私が若い頃にやっていたストイックな水泳じゃなくて、大人が楽しむ水泳の大会。

こんな大会があるんだなと思って。こういうのならもう一度泳いでみてもいいな。そう思ってエントリーしたのが、60歳の時に開催されたドイツ大会です。

この時はあえて目標タイムは設定せず、200m泳ぎ切ることを目標にしました。結果、メダルはいくつかいただきましたけど、競うことには一切こだわっていなかったので、何位だったかとか、メダルがいくつだったかとかは、あんまり覚えていませんね。

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