なぜかわかりませんが、この言葉が突然降りてきたのです。そこで自分の胸に手を当てて、内省してみました。
グチをいうことは、天に向かって唾を吐くようなもの。天に吐いた唾は必ず自分に返ってくると気づき、天に恥じない生き方をしなければと自分を戒めました。
昔から、よいことも悪いことも、自分のしたことは必ず自分に返ってくるといわれています。すべては巡り巡って自分に返ってくると。
それは実際に、私自身が身をもって体験しています。
天の大いなる存在は、「早く気づきなさい」と伝えたいがために、いろいろな試練を与えてくれるのかもしれません。
人に注意されるのは、ありがたいこと。自分がよい方向に進むための教えになります。だから私は、もしも人に裏切られても、反対に自分の何が悪かったんだろうと考えるようにしています。
自分の生き方に自信がなくなったときこそ、「自分のやっていることは、本当に正しいのだろうか」「もしかしたら、違うやり方があるのかもしれないな」と、俯瞰して自分を省みることをおすすめします。
「すみません」と「ありがとう」
人は一人では生きていけません。自分の不得意なところは誰かが補ってくれて、それで生きていけるのです。
これは父の教えでもありました。だからすべての人に対して感謝の気持ちを忘れないようにと、何度もいわれたことを思い出します。
「感謝」という字は、「謝りたく感じる」と書きます。
日本人はよく、「ありがとう」というより先に「すみません」といいがちで、その言葉の使い方を批判されたりしますが、逆にいえば、ありがたいと思う気持ちの中に「申し訳ない」「もったいない」という謝辞の心がこめられていると私は考えます。その心を「すみません」の一言に集約してきたのでしょう。
そう考えると、「すみません」と「ありがとう」はワンセット。「謝りたく感じる」心をもって、感謝すべきなのですね。
私は「悪くなったのは自分のせい。よくなったのは他人のおかげ」という言葉を胸に刻み込んでいます。つまり、悪いことは自分の撒いた種の結果であり、いいことは人の助けがあってこそだと謙虚に受け止めるようにしています。
私はもともと「自分が、自分が」という考え方をするタイプではありません。自分の利より、人やお客さまに尽くすことに力を傾けてきました。人の喜ぶ顔を見ると、心底うれしくなるのです。
でもそれが、すてきな方たちとのご縁につながり、人生を切り拓いていく上での力になったと思っています。結果的に、人生の運は大きく変わり、プラスに転じました。すべては巡り巡って自分に返ってくるものだと、改めて実感しています。
穢れのない心で真っ当な生き方をしていれば、自分にとって試練と思えるときや、困難を味わったときに、意外なところから救いの手が差し伸べられます。いちばん大切なのは、誠実な生き方に尽きるということですね。
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