心の底から自分のすべてを肯定できるようになったのは、つい最近です。美容家として、一流のメイクを極めたと実感したときに初めて、誰の前に出ても恥ずかしくない自分になったと思えました。
真の自信がつくと、自分をことさらよく見せようという気負いがなくなります。年齢とともに、若い頃のようにはできないことも増えてきていますが、その現実も含めて、自分自身を丸ごと受け入れられたとき、自然体で生きる心地よさを感じました。
肩の力を抜いて、ありのままの自分をさらけ出していくと、楽に生きられることもわかりました。
例えばディナーショーで、「年は60、気持ちは30~♪」などと笑っていえるのは、自分の年齢をしっかり肯定できているため。年齢を隠して「60代だと思われたくない」とジタバタするのは、若い人をうらやんで、自分を貶めているようなものでしょう。
61年間、一生懸命がんばって生きてきた自分に自信をもって、堂々と胸を張り「いまの自分を認めている」私がいます。
大事なのは、人がどう思うかより、自分が愛せる自分を目指すことです。まずは本当の自分と向き合い、受け止めるところからスタート。自分の中に、しっかりとした「軸」があれば、どんなことも笑い飛ばして生きられると思います。
人に注意されるのはありがたい!
みなさんは、「私のやり方はこれでいいのかしら?」「私の考え方は間違っているのかな?」と思い悩むことはありませんか?
とくに、人にダメ出しをされたり、批判されたりすると、自分に自信がなくなってしまいますよね。また、何をやってもうまくいかないときは、何がよくないのだろうと考え込んでしまいます。
私自身がそうでした。「私はこんなにがんばっているのに、なぜわかってもらえないのだろう」と、忸怩たる思いで唇を噛んだことは数えきれません。
でも、自分がスタッフを抱える立場になってわかったことがあります。相手が求めていることに対して、自分の努力してきた方向性が違っていたのだろうな、と。
例えば、店の掃除をしなさいといわれたとします。しかし一生懸命掃除機をかけたのに叱られる。でも先輩は、床やテーブルの水拭きまでしなければ、掃除をしたとはいえないと思ったに違いありません。
これが主婦の場合なら、家族はお腹が空いて早くご飯を食べたいのに、先に家をきれいにしようとがんばって掃除をしているお母さんは感謝されるどころか、不満をぶつけられるだけ。お母さんにとっては「こんなにがんばっているのに、なぜわかってもらえないの?」というようなものですね。
相手がダメ出しするには、それなりの理由があるのです。
しかし私も、若い頃はそこまで考えが及びませんでした。
修業時代は、やることなすことを否定され、自信を失いました。人に注意されると反感ばかり覚えて、グチをこぼしていました。
その一方で、「自分はそこそこいいところまでいくのに、なぜいつもある程度のところで止まってしまうのだろう」と、自問自答する日々でした。
そんなとき、ふと「因果応報」という言葉が頭に浮かんできました。
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