信雄は暗愚と評価されることの多い人物です。
これは天正伊賀の乱の失敗が大きいと思われますが、それ以外にも、信雄は暗殺や騙し討ちといった陰湿な策を多用したことが、世間にいい印象を与えられなかった要因として考えられます。
利用され続けてきた信雄の決断
血の繋がらぬ関係とはいえ弟を殺し、その後も秀吉の策に踊らされ、大切な自分の重臣を騙し討ちで殺してしまいます。信雄の前半生は血塗られていたといってもいいでしょう。
信雄は幼くして北畠家に養子に出され、しかもその存在をよく思わない家臣団も多く、つねに緊張した状態で育ったのでしょう。信雄は怪しいと思うと、すぐに家臣を殺してしまう傾向がありました。
父の手元で育った兄・信忠にはそういった事実はなく、家臣との関係もよかったことを考えると信雄には同情すべき点もあります。父に利用され、父の死後は秀吉に利用される人生でした。その信雄が己の意思で秀吉と戦うことを決めたのは、大きな転機だったのかもしれません。
その信雄の背中を押したのは、家康でした。
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