ホンダジェットの開発に"導かれた"男 思いがけず入社3年目に決まった運命

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航空機に関わってきた時間には2つの感じ方があると表現した藤野氏。

試験にかかわったボーイング社のスタッフは、「何もわかっていないから、あんなことをして」といった雰囲気だった。ところが、結果が出たら「ベリー・スマート」。態度は一変した。

航空機開発に関わった時間について、藤野はこう表現する。

「頭の中でいろいろあったことを思い出すと、(開発チームに加わってから)29年間という重みと長さを感じる。だが、あまりにもたくさんの出来事があったので、あっという間に過ぎたという”肉体的な時間感覚”を持っている。不思議だが、今思うのは、人はその間に起きる事象の数や重みで、頭の中で感じる時間と、体で感じる時間とはまったく逆のものになるということ」

航空機事業への新規参入という道なき道を行く。開発は数え切れない試行錯誤の繰り返し。辞めたいと思い、会社を何回も休んだ。だが、出社せずに買い物をしていても、スポーツをしていても、いつの間にか頭の中では仕事のことを考えている自分に気付く。いつしか、「自分はこの”飛行機を作る”という仕事からは逃れられない」と思うようになった。

次の電信柱まで全力で走る

 「飛行機産業に新しい価値を」という大きなゴールを設定し、目の前のマイルストーンを達成していく。「とにかく次の電信柱までは全力で走るということを繰り返し、やっとここまで来たという感じ」(藤野)。

すでに100機以上を受注しているものの、実績のないホンダが継続的に受注を獲得し、事業を軌道に乗せるのは容易でない。かつて米国では、航空機ベンチャーのエクリプス・アビエーションが当初1機100万ドルを切る格安の航空機を売り出し、数千機の受注を集めた。が、資金繰りに行き詰まり2008年に経営破綻した。

ホンダとしてはやみくもに受注を追わず、ライバルにはない商品性を売りに、着実に販売を伸ばす考え。発売1年目は50機で、3年目以降は80~90機の生産を計画、常時、年間販売の2倍程度のバックオーダーを持ち続け、2020年の黒字化を目指す。

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