ホンダは「S660」で"らしさ"を取り戻せるか 異例の新車プロジェクトの舞台裏
ホンダで史上最年少となる開発責任者の椋本陵(26)は、エンジニアの”正装”である真っ白な作業着を身にまとい、新車の発表会場に現れた。
4月2日に発売された「S660」。ホンダとしては軽自動車のスポーツカーは、1996年に生産を終了した「ビート」以来、19年ぶりの復活となる。通常、新車の開発責任者は40代から50代のエンジニアが担当する。それを20代の若者が務めたのだから、異例中の異例だ。椋本氏は会見で、「あえて、クルマ離れと呼ばれる世代が作り、車の楽しさを”どストレート”に発信していく」と語った。
S660の芽が出たのは、「S2000」の生産終了でホンダのカタログからスポーツカーのラインナップが消えた2010年のこと。本田技術研究所の創立50周年を記念して「新商品提案企画」を実施、エンジニアたちから寄せられた約400の提案の中から、「肩の力を抜いて乗れる車をつくりたい」とした椋本の「ゆるスポ(ゆるいスポーツカー)」がグランプリを射止めた。
「マジか!」と思った
当初、製品化の予定はなかったが、2011年に完成した試作車に伊東孝紳社長が試乗したところ、「面白いから、じゃあやるか」と、鶴の一声で商品化が決まる。開発責任者のLPL(ラージ・プロジェクト・リーダー)には提案者の椋本が抜擢された。
「小さい頃からスポーツカーが大好きだった。小学校のときに漫画人物伝『本田宗一郎』を読んで、ホンダが大好きになった。いつかスポーツカーを作りたいなと思っていた」という椋本。就職して初めて買った車はS2000。スポーツカー開発の”夢”は予想だにしない形で実現することになった。
工業高校を卒業してホンダに就職した椋本は、当時入社4年目。試作車の「モデラー」として木型の製作などに携わっていたが、車両の開発経験はゼロ。LPLに指名された時は「マジか!」と思った。LPLの抜擢のほか、通常は指名されるエンジンやトランスミッションなどの開発担当者は公募で選ばれた。応募した150人の中から各分野のPL(プロジェクト・リーダー)に就いた15人は20代~30代の若手中心。PLになるのは初めてというエンジニアがほとんどだった。
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