ホンダジェットの開発に"導かれた"男

思いがけず入社3年目に決まった運命

羽田空港に降り立ったホンダ エアクラフト カンパニーの藤野道格(みちまさ)社長

4月下旬、羽田空港の格納庫で小型ビジネスジェット機「ホンダジェット」が日本で初公開された。パイロットを含めて7人乗りで、1機450万ドル(約5.4億円)。欧米の企業経営者や富裕層を中心にすでに100機以上を受注している。FAA(米連邦航空局)からの最終の型式認証を取得次第、顧客向けにいよいよ納入が始まる。

国内メーカーで最後発ながら、ホンダが自動車製造に乗り出したのは1963年。それからほぼ半世紀ぶりにジェット機で新規事業への参入を果たす。日本での発表会は、事業化を前にした「ワールドツアー」の最初の”訪問地”という位置づけだ。今回のツアー開催を誰よりも待ち望んでいたのが、米国子会社・ホンダ エアクラフト カンパニー社長の藤野道格だろう。

 藤野は今年で55歳になる。東京大学工学部航空学科を卒業し、ホンダに入社したのは1984年。航空学科出身だが、創業者・本田宗一郎が抱いた「空」の夢に共感してこの会社を選んだわけではない。

予期せぬ「辞令」にためらう

航空機業界への参入は、創業者・本田宗一郎氏の夢だった(写真は1969年撮影)

「自分でコンセプトを考えて、自分で造って、できれば自分で売りたい性格」と自身を分析する藤野。学生当時、「自分で製品全体を考えて、それを世界の市場で実現していくほうが向いていると思った。残念ながら、当時の日本の航空機メーカーではそうした仕事をするのは難しく、できるとしたら自動車会社ではないかと考えた」という。

複数のメーカーへ見学に行き、もっとも活気があり、若い人にも仕事をさせてもらえる雰囲気を感じたホンダを選んだ。だが入社3年目、藤野の会社人生を決定づける辞令が出る。ジェット機開発チームのメンバーに選ばれたのだ。

「最初、異動を口答で言われた時は、少しためらった。本当にどこまでやるのかという全体のイメージがわかなかった」。プロジェクトが基礎研究の域を出ず、飛行機として最終製品までもっていく意図がなければ、あまり魅力がないとも思ったからだ。1週間ほど考えた結果、いずれにしても、今後こうした開発のチャンスはないかもしれないと思い直し、「異動させてください」と上司に直接訴えに行った。

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