橋梁流出で廃線、高千穂鉄道「代替路線」の現在 たび重なる災害でバスも運行の確保に苦労する
バスは市街地を通り、途中のバス停で地元客を拾う。延岡駅近くには古くからの商店街が固まっているが、現状は他の都市と変わらず、営業していない様子の店が目立つ。イオンをはじめとするロードサイド形の大型店舗は、むしろ南延岡駅に近い、大瀬川より南のエリアに多い。
「神話街道」との愛称がある国道218号に入ると、ひたすら五ヶ瀬川に沿ってさかのぼってゆく。旧行縢(むかばき)駅に近い平田までは、別系統の行縢山登山口行きも1日3往復加わる。
平田でいったん降りて周囲を観察した後、11時15分発の旧道経由に乗り継ぎ、日之影町を目指す。細見、岡元(日向岡元)、吐合と駅名で覚えがある地名も現れる。ただ、完全に鉄道に沿ったルートではなく、例えば国道から離れる曽木は経由しない。そうした地区は、旧北方町から継承した延岡市の乗合タクシーに任されている。
「駅」を名乗るバス停が残る理由
2006年に延岡市へ編入された北方町の中心地が川水流。廃止後も、そのまま「川水流(かわずる)駅」を名乗るバス停がある。
鉄道に対するノスタルジーかと思われがちだが、道幅も狭い集落の中で、元の駅前広場が駐車スペースとして使えるため自家用車を停めやすい。つまりは鉄道時代と変わらず送迎の拠点でもあり続けているのだった。
駅自体は廃止されても、引き続き駅と称しておいた方が、わかりやすいのは確かである。家族が高校生を迎えに来る場面が、このバス停でも展開される。山岳地帯だけに、車がないと末端の輸送は担えない。
川水流から先、急流が削った谷はいちだんと深まり、平地はごく少なくなる。一方、田畑は山の上に開かれた土地に広がっており、棚田の風景が広がる。バイパスはそうした開拓地を通り、地形を半ば無視して長大トンネルで山を抜け、高い橋梁で谷をまたぎ越しているが、そちらに住まう人口も今や少なからず。双方に路線バスを振り分けなければならないゆえんである。
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